落語 木戸をくぐれば

第43回「席亭とは」
 落語・演芸の世界でよく「席亭せきてい」という。「亭」は言うまでもなく「あずまや」で、宿、家、屋敷など、家屋のような施設を表している。料理を提供する家が「料亭」だから、「席亭」は寄席の建物だろうと思うが、そうではない。

 席亭は寄席の経営者を指している。どうやら「寄席の亭主」のことらしい。つまり、東京・上野の鈴本演芸場や新宿末広亭の経営者のことを「席亭」というのだ。してみれば、日本国中に五人とはいない稀少職業名ということになる。



 昔から「席亭」ということばはあったのだが、それこそ建物と間違えられると思ったのか、昭和のなかばごろまでは、マスコミでは「席主」と表記することが多かったように思う。社主ということばがあるので、このほうが一般的に通じやすいと思われたのだろう。席亭にせよ席主にせよ、「亭主」であることに変わりはない。



 最近は「席亭」がずいぶん普及して、ホール落語会やちょっとした落語会の主催者がうれしそうに「席亭」を自称している。演芸放送の番組制作者や司会者までが「席亭」を名乗るほどで、これには失笑させられる。やはり、人生と財産を賭けていてこそ「亭主」であるべきだろう。



 五代目三遊亭圓楽は「席亭」を兼ねたことがある、戦後では稀な落語家である。東京の江東区東陽に寄席「若竹」を建てて後身を指導したことを記憶している方は多いだろう。長くは続かなかったが、遠大な構想と勇気の持ち主であると世に示すことに成功した。



 じつは、戦前には一時期にもせよ、席亭と演者の二足のワラジを履いた落語家が決して珍しくない。圓楽の師匠・六代目三遊亭圓生も、その義父・五代目圓生もそうだったし、明治大正期の名人・三代目柳家小さんもそんな経歴の持ち主だった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。