落語 木戸をくぐれば

第40回「師匠の一日」
 落語家の日常生活を知る人は少ない。六代目三遊亭圓生の晩年を例にして綴ってみよう。



 圓生の暮らし方がはなし家の典型というわけではないが、明治の末から昭和五十年代まで、七十年にわたって高座人生を過ごした、子飼いのプロの一日である。



 朝は八時過ぎまで寝ている。「年をとると早起きになるてェますが、あたくしは低血圧のせいですかね、寝坊助なんです」。



 朝御飯は典型的な日本の朝のメニュー。量は少しずつながら副食の種類は多い。御飯の前に、晩酌ならぬ朝酌を一合ほど。むろん燗酒。「低血圧でげすから、一杯飲んだほうが調子がいいんで」。



 ただし長年のこの習慣は、「圓生百席」の録音を始めてから、ぴたっとやめた。



 酒を飲むとのどの血行がよくなりすぎるのか、かえって声の安定がとりにくい。午後の録音に差しつかえがあるという。さすがは芸の虫。酒はかなり強かったが、飲まなくてもすむ人で、いわゆる呑ん兵衛ではなかった。



 遅めにたっぷり朝食をとるから、昼食は抜きだ。午後は外で一仕事することもあれば、旅に出ることもあり、家にいれば長い昼間となる。その時間を稽古や調べもので過ごす。弟子や後輩に稽古をつけることもある。来客も少なくない。昼食代わりというわけでもないが来客の対応をしつつ結構菓子も食べる。夕方五時、世間より早目の晩御飯。一日二食主義だから、それが頃合なのだ。魚や豆腐主体の、少量ずつ品数の多い和食。食材は吟味された良品ばかり。



 夜に仕事がなければ晩酌一合ほどをたしなむ。仕事があるときは六時頃に自家用車で出発し、七、八時台に一高座。晩年の「名人」には、それより早い時刻の出番はまずない。十時頃に帰宅する。



 就寝は夜半だ。入浴し、テレビでくつろぐこともある。プロ野球では大の巨人ファン。スコッチのストレートが寝酒。つまみはチョコレートやフルーツだった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。