落語 木戸をくぐれば

第38回「トンガリの正蔵」
 鳴物入りでにぎやかに九代目林家正蔵が誕生した。そうなれば前任者八代目林家正蔵のことを、いちいち、のちに〝彦六になった〟正蔵と断り書きをしなくても、もういいだろう。「彦六」時代は、長い生涯の、最後のほんの一コマにしか過ぎなかったからだ。「八代目」だけで充分。



 八代目正蔵の仇名は「トンガリ」である。曲がったことが嫌いで、すぐにカッとなる。「なアにョウ吐ぬかしゃアがる!」と少しドスの利いた啖呵を切る。それは正蔵持ち前の、じっくり諭すような、決して駆け出すことのない語り口と一見釣り合わない。それだけに怒りっぽさ――トンガリが強い個性として目についたようだ。



「トンガリ」とはむろん、尖んがること――尖んがり、から来ている。標準語ならアクセントはなく平坦なことばだが、正蔵のトンガリは、いや、正蔵のことに限らず、「トンガリ」と名詞化した場合に江戸前の発音では、冒頭のトに強いアクセントが付く。「とんがり帽子」のトンガリとはちがう。そうでないと明治の男・正蔵らしくないのだが、江戸っ子も「尖んがる」なら平坦に言っていたようだ。



 正蔵が、ひと昔前にはやった言い方のような、ただの「瞬間湯沸かし器」人間だったら、いくら芸が独自でも大御所の地位にはつけまい。若いころ、仲間と地方回りの仕事をしていて、ささいなことから"トンガ〟った正蔵は、てめえらと一緒にやっていけるかい!と楽屋を飛び出してしまった。またいつものトンガリか、とみんなで噂しているところへ、人数分の出前の蕎麦が届いた。



 興行主からの差し入れだろうと思ってみんなが食べ終わった時分に、ひょっこり正蔵が戻って来た。「先程はどうも失礼を致しました。申し訳ありません。ところで蕎麦はいかがでございましたかね?」



 結果的に馳走に預ってしまった一同は、もう何も言えない。硬軟両極を使いこなした人生の苦労人はトンガリ・イコール正義漢の看板を上手に使って長い芸人人生を全うした。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。