落語 木戸をくぐれば

第34回「志ん朝の自由と規律」
 古今亭志ん朝の最後の高座は、平成十三年、恒例行事になっていた八月中席(十一日~二十日)の浅草演芸ホール、「住吉踊り」だった。ドクター・ストップを押し切って病院から通い、二十日の楽日までつとめた。



 大喜利に踊りのショーが付いて、それがメインの興行だが、落語も短い噺ながら必ず一席やらなければお客が承知しない。四十日後の十月一日に他界の身には辛いことだったろうが、やるべきことは意地でも貫徹する人だった。



 一方では、父・五代目志ん生の境地に憧れ、ズボラ、ぞろっぺいを理想のようにする人でもあった。自由でありたい。解放されていたい。勝手気儘に過ごしながら芸が巧くなったら、こんないいことないな、と茶目な顔で言うが、芸の厳しさは人一倍知っていて、蔭では猛稽古をすることもしばしば――。



「住吉踊り」の大切な同人だった四代目三遊亭金馬は、平成十八年春に刊行した自伝「金馬のいななき」(朝日新聞社)に年下の友人・志ん朝の酒の飲み方を詳しく記している。



 これは旨い酒だ、となると金馬の制止を振り切って強い酒を何杯も飲んでしまう。一人で帰れるかな、と金馬は心配したが、案の定一足出せば一足戻るような歩みになって、横断歩道を渡るに渡れず、ふだんの何倍も時間がかかったと後日に聞いた。



 志ん朝と金馬の家はそう遠くない距離にあるので、習慣的にタクシーを利用することはなかったのだろう。



 気心の知れた相手と酌み交わすときは、刹那的享楽の次元に遊んで憚らない。それが志ん朝流の酒だ。いちど北陸路で一緒になったことがあるが、じつに楽しく、いつまでも飲みかつ語った。



 これも金馬の著書にあるが、酔余に雪道で転び、顔に傷がついたことがあって、このときは自戒すること厳しく、以後一年間は完全に酒を絶った。そのへんのけじめの付け様は徹底していた。



 みんなを朗らかにする明るさと、己れを律する厳しさ。この二面性の作用が類を見ない芸を培ったのだと思う。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。