落語 木戸をくぐれば

第33回「志ん生と道楽」
「三さん道楽どら煩悩と申しまして」と、平成のいまでも落語家はマクラに振る。三道楽とは「飲む・打つ・買う」だと註釈も添える。「飲む」は言うまでもなく酒。打つは博打、買うは女郎買い、と付け加えないと、わかってもらえない時代になった。



 五代目古今亭志ん生は、その三道楽煩悩を究めた? はなし家だという定評がある。



 それにまちがいはないが、一方では〝貧乏自慢〟だった志ん生が、どれほどその三種目を究めていたかは、少し疑問だと思う。どれをとっても元手、つまり資金が必要な〝事業〟だからだ。
 まあ何につけてもニワトリとタマゴで、元手に不足するから三道楽を究め切れなかったか、究めすぎて貧乏してしまったのか――は、一概に断定はしかねる。が、四十代まで〝売れなかった〟、つまり人気がなくて稼げなかった志ん生なのだから、初めに貧乏ありきであって、三種の神器の究め方も、じつはローレベルにとどまったものではなかろうか。



 呑ん兵衛だったにはちがいないが、綺麗な酒だった、と証言する門弟もいる。ここまででもういい、と切り上げるタイプの飲み方だったという。もっと飲みたくても飲めなかった貧乏時代に身についた習性だったかもしれない。



博打だって、大バクチは出来なかったのではないか。『へっつい幽霊』の博打のしぐさにしても、もっと博徒として筋金入り? だった三代目桂三木助ほど、真に迫ろうとしてはいなかった。



 女郎買いは相当にしたのだろうが、糟糠の妻、賢夫人の誉れ高いおりんさんとは破局に至るほどのこともなく、共白髪まで添いとげている。



 江戸っ子は宵越しの銭を持たない、とは言い切れないよ、おやじ(志ん生)は根っからケチで、おふくろのほうが気前がよかったもの――、と古今亭志ん朝は言っていた。



 でも、志ん生には江戸前のイメージが、三道楽の達人の風情がある。芸人はそれでいい。芸を生むのは人だが、芸もまた人を生むのである。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。