落語 木戸をくぐれば

第32回「国境線にて」
 一九七〇年代、まだ古今亭志ん朝が三十代のころの話。海外旅行がいくらか一般化しはじめた時分で、落語家の多くはあまり経験がなかったが、少年時代に外交官に憧れ、ドイツ語の会話を身につけ、すでに売れっ子としてテレビの海外取材番組にも経験豊富な古今亭志ん朝は飛切りの海外通だった。



 そのころ、航空会社が世界の海外在留邦人を集めて落語会を催すことがよくあった。当時の西ドイツには日本人も多いから、その各都市を中心にフランス、イタリア、オランダ、イギリスなどをツアーのように巡る。短距離の移動にはレンタカーを使うこともある。そのほうが街や景色が楽しめる、が持論で日本国内でもスポーツカーの名車を愛用していた志ん朝自身がドライバーだ。



 いいか、日本人は国境ってものの実感が鈍いから言っとくけど、検問の兵士に洒落は通じないんだから気をつけろよ。志ん朝は同乗の後輩たちをきつく戒めた。



 が、パスポートと顔をまじまじと見較べる兵士の強面を前に一人の後輩がつい日頃の茶目っ気を発揮、からかうようなそぶりをした。たちまち銃口が向けられ大勢の兵士に囲まれてクルマは三十分も拘留状態。荷物が入念に検査される。ただ一人会話のできる志ん朝がいろいろ話して解放された。



「あにさん、ご免なさい」「謝って済むこっちゃないよ、あれほど言っておいたのに」。あとは口もきかずにハンドルを握る志ん朝。後輩たちは沈み込んだままホテルに着いた。夕食のため全員レストランに集まったが、後輩たちは食欲も出ない。「食べなきゃだめだよ」と言ったあと、志ん朝は突然大笑いをし始めた。「あれはな、お前がからかったからむこうが怒ったんじゃないんだ、いま過激派の関係で日本人のクルマは厳重に調べるんだってさ」。



「なあんだ、あにさん意地悪」。そのあと、後輩たちが盛大に食べたのなんの。志ん朝はそんな茶目っ気と芝居っ気の人でもあった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。