落語 木戸をくぐれば
第26回「落語の熟成」
落語が生まれたころ――ざっと二、三百年前、落語はどんなものであったのか、と考える。考えても遠い江戸の昔の真相はなかなかわかるものではない。
だが、明治以降――とくに昭和戦後のように「噺」として落語の型が固まり、落語家の演技、演出にも幾通りかのパターンが確定している状態とは、およそちがっていただろう、ということだけは言える。
落語は口から口へ、つまり口承で伝わるうちに発展充実、あるいは変化し、また消えていくものもある――という芸能だから、床本や台本が残る人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎のように昔の形をたどりにくい。だが、その文楽や歌舞伎も、初期のころはとても流動的だったようだ。
どこかに、いまで言う不倫の騒動が起きて、それが殺傷事件を生む。財産を巡って店の乗っ取り事件がある。仇討がある。そんな、いまと変わらない日々の出来事や話題を、昔の作者は競ってすぐに浄瑠璃や芝居に仕立てた。いま世界遺産として鑑賞されている文楽や歌舞伎の名作は、ほとんどそうして生まれてきた。
いっそう庶民的な落語は、もっともっとそうだったのではないだろうか。人間のありふれた失敗を、ありそうもないほど特異な形状に仕立て直し、笑いを加えてフィクションとして熟成する作業が二百年以上続いて、今日の落語になったのだ。
名人芸を継承し、至芸のアイデアを伝承していくのも大切だが、落語家は噺=演目――楽屋では根多ネタという――をやりこなすことにばかり気を入れていてはいけない。噺を生んだ状況、いまも昔も変わらない世の中というものを忘れてしまうと、落語がフレーム栽培の野菜のようになってしまう。
昔の人がとまどい、困り、それを観察する者が笑う。その構造をいかにいまの世の中に活かすのか。桂文珍とよくそんな話をする。二時間も三時間もそういう話を交わし合える数少ない人だ。
だが、明治以降――とくに昭和戦後のように「噺」として落語の型が固まり、落語家の演技、演出にも幾通りかのパターンが確定している状態とは、およそちがっていただろう、ということだけは言える。
落語は口から口へ、つまり口承で伝わるうちに発展充実、あるいは変化し、また消えていくものもある――という芸能だから、床本や台本が残る人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎のように昔の形をたどりにくい。だが、その文楽や歌舞伎も、初期のころはとても流動的だったようだ。
どこかに、いまで言う不倫の騒動が起きて、それが殺傷事件を生む。財産を巡って店の乗っ取り事件がある。仇討がある。そんな、いまと変わらない日々の出来事や話題を、昔の作者は競ってすぐに浄瑠璃や芝居に仕立てた。いま世界遺産として鑑賞されている文楽や歌舞伎の名作は、ほとんどそうして生まれてきた。
いっそう庶民的な落語は、もっともっとそうだったのではないだろうか。人間のありふれた失敗を、ありそうもないほど特異な形状に仕立て直し、笑いを加えてフィクションとして熟成する作業が二百年以上続いて、今日の落語になったのだ。
名人芸を継承し、至芸のアイデアを伝承していくのも大切だが、落語家は噺=演目――楽屋では根多ネタという――をやりこなすことにばかり気を入れていてはいけない。噺を生んだ状況、いまも昔も変わらない世の中というものを忘れてしまうと、落語がフレーム栽培の野菜のようになってしまう。
昔の人がとまどい、困り、それを観察する者が笑う。その構造をいかにいまの世の中に活かすのか。桂文珍とよくそんな話をする。二時間も三時間もそういう話を交わし合える数少ない人だ。