落語 木戸をくぐれば

第23回「無舌居士と小三治」
 落語中興の祖といわれ、幕末から明治期にかけて高座に、創作に巨大な足跡を残した三遊亭圓朝の墓は、東京都台東区谷中の全生庵という禅寺にある。中曽根康弘総理が在任中、公務のあとに時折坐禅した寺としても知られている。



 墓地には「叱られて」などの童謡名曲の作曲家・弘田龍太郎の墓もあるが、この寺は旧幕臣で明治維新期に大きな活躍をした文人派政治家・山岡鉄舟にゆかりがあって、奥のほうにはその鉄舟の墓もある。



 圓朝の墓碑には「無舌むぜつ居士こじ」と刻まれている。どこまで実話なのかわからないが、圓朝は鉄舟によって禅に傾倒し、鉄舟から無舌の境地で落語をしゃべれと言われ、かなり悩んだという。



 落語はことばをしゃべって演じる芸だ。いわば有舌の芸である。なのに「無舌」とはどういうことか。横町のご隠居とこんにゃく問答をする八っつぁんだったら、そんなベラボウな話があるもンケエと腕まくりをしかねないが、こんにゃくならぬ禅問答となると少しばかり奥が深い。



 口ばかり達者でも芸とはいえない。山岡鉄舟はそんな諭さとしを圓朝に与えたのかもしれない。悩んだ圓朝もやがて何かを悟ったので、「無舌」を自分の戒名としたのではないか。



 柳家小三治に禅や無舌の観念があるとは思えない。だが、小三治という人は早くからありきたりの落語口調でペラペラしゃべる道を捨てていた。登場人物の心を自分の心にしたときに、自然に思い浮かんだことばでしゃべる、そんな手法をとっているように思われる。それは多くの落語家と一線を画した、柳家小三治独自のありようであって、独自なことはこの上もない。



 初めにことばありき、ではなく、心ありき。そのためか、他の演者が十五分ですませる噺が三十分になることさえある。型や標準とは無関係。『初天神』の子どもの心理、当惑しっ放しのおやじの心境は、次第に拡大して最長不倒の『初天神』に結実した。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。