落語 木戸をくぐれば

第20回「子どもの落語家」
 近ごろスポーツ選手に、とくに女子の場合に目立つことだが、ご幼少の砌みぎりからその道に入るケースが珍しくなくなった。成功例ばかりがクローズアップされているのさ、と醒めた見方もされるが、絶対数が増加しているのはたしかだろう。



 小学校へ入るか入らないかの時期から卓球を、柔道を、野球を、果てはゴルフまでもレッスンする。世の中進学塾の天下でもないらしいと少し安心する。子どもは一に勉強、二に親の手伝いといわれた時代が遠い過去になったという感慨ももつ。



 だが考えてみれば、これは現代的な現象でも何でもない。こと芸能については、都会地では昔から庶民の子どもも「お稽古ごと」をしていた。数え年六歳の六月六日が稽古始めの吉日という慣習は、少くとも江戸時代後期からあった。



 子どものころから情操を育むのが江戸文化だ、などともっともらしく言うつもりはない。むかしの日本では芸事の素養も多分に実利的な側面から評価していた。とくに女子の場合は未婚、夫との離別などによる不幸の防波堤のように「芸が身をたすける」とされた。



 子ども時代からその道に入ったほうが修得にはいいに決まっている。西洋の音楽やバレエでも、みんな子どものころからレッスンをしている。日本の家庭でも洋楽、洋舞は昔から幼時に教育を始めていた。



 落語だけは別である。道楽稼業のように言われていた昔は、親がまず落語家志望など許さなかったから、たいがいが思春期以降の入門になる。しかも落語はプロばかりの世界だ。他の芸術芸能やスポーツのように測り知れないアマチュア層の存在がほとんどない。落語のレッスンに励む児童なんてあり得ないのだ。それでも明治大正のころまでは子ども落語家がいた。アマチュアではない。十歳にならずしてのプロだった。戦後まで活躍した子ども落語家出身者もいた。六代目三遊亭圓生、六代目春風亭柳橋、四代目三遊亭圓馬、柳家金五楼、七代目雷門助六などである。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。