落語 木戸をくぐれば

第17回「圓生の着物」
 六代目三遊亭圓生は、十九世紀最後の年に生まれた。そんな世代としては長身で洋服もよく似合う体型だった。洋服、着物ともに着こなせる人は少ないはずだが、舞踊の素養がある圓生はどこか身のこなしがちがうのだろう、本業の着物姿にも高座の華が感じられた。



 着物はたくさん持っていた。価格が高騰する前の時代にずいぶんこしらえたらしい。これはと思う高座の際には、その噺と主な登場人物に合わせて着物を選んでいた。殿様や侍の噺なら黒紋付に袴を付けるが、商人や職人が主体なら紬つむぎ系統にしていたし、そこに女性がからむ筋なら結城ゆうき紬にするという具合だった。



 夏場の情緒あふれる演目だと決まって薩摩さつま絣がすり。白地の白薩摩があれほど似合った落語家を他に知らない。『牡丹燈籠』、『乳房榎』、『お藤松五郎』、『髪結新三』、『酢豆腐』、『夏の医者』などの高座姿は瞼から消えることがない。



『塩原多助』は田舎の噺だから縞柄の紬で演じたのではなかろうか。



 そうした圓生の名人気質が発揮されるのは、自分が主催する独演会や名だたる桧舞台の会においてであって、汗をかく季節や地方での営業公演、ライトの強い会場などの場合は、着物が傷いたむからと、いつも二の次クラス以下の着物で臨んでいた。芸術至上主義と現実主義が共存している。欧米の名ヴァイオリニストが海外公演では格下の楽器を持ち歩くことがあるというのと似ている。



 同じ着物でも帯を変えると印象がまるでちがってくる。圓生は着物の何倍もの帯を持っていた。洋服の人でも、上着の数よりネクタイのほうが多いのは、よくあることだ。



 仕事に出かける前、圓生は予定の演目に合わせて誰にも相談せず、さっさと着物と帯を選んで弟子に風呂敷包みを作らせていた。



 それが洋服となると、どうも自信がもてないらしい。外出の仕度の際に居合わせて上着とズボンのコーディネートについて、いかがでげす? と相談を受けたことが三度ばかりあった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。