落語 木戸をくぐれば

第15回「亭号と名跡」
 落語家の名前の上には「亭号」が付く。姓名の姓にあたるところだ。亭号とはいうが、三遊亭、春風亭などばかりではなく、橘家、柳家、林家などの「家」もある。桂のように家屋とは無関係のような亭号もある。亭は「あづまや」のこと。や・いえ・うち・・・・・・とは少しちがうが、人が集い、憩い、住む場所――施設にはちがいない。



 林家は四代目正蔵まで林屋だったし、三升家みますやは明治の四代目小勝まで三升亭だった。柳派の大名跡、春風亭柳枝は春風・亭あづまや・柳の枝と分解すると風雅の香りがする。柳亭燕枝も同じことで柳と燕の取り合わせは日本画の画材である。芸名にも雅号の趣きがあるということだ。



 落語中興の祖といわれ、幕末明治に活躍して多くの創作も残した名人・三遊亭圓朝は二代目三遊亭圓生の弟子となり、初め橘家小圓太と名乗った。父親も二代目圓生門下で橘家圓太郎と名乗っていた。



 三遊亭の弟子でありながら橘屋とは? と思われるだろう。じつはこの両亭号は一族郎党なのである。兄弟あるいは姉妹亭号といってもいい。三遊亭圓生六代のうち至近の二代はいずれも橘家圓蔵から圓生を襲名している。圓朝の師・二代目圓生の前名は「立花家圓蔵」だった。圓朝の後継名人のようにいわれた四代目橘家圓喬には三遊亭圓喬の表記もあるし、三代目圓喬は「三遊亭」だった(のちに四代目圓生)。



 眺めわたすと、圓生、圓馬、圓右、圓左、圓橘などの、雅号のような、法名のような名前の上には「三遊亭」が付き、圓蔵、圓太郎など、ふつうの人にもありそうな名前は「橘家」の下に付くことが多いようだ。これは「林家」の正蔵とも一派通じるところだろうが、林「家」に見合う○○亭は見当たらない。



 だが圓喬のようなファジーな例は他にもあって、たとえば「三遊亭圓之助」は以前は「橘家圓之助」だった。



 三遊亭の最高の名は圓生、橘家では圓蔵である。だが昭和戦後以降、落語界の膨張は明治大正期をしのいでいる。三遊・橘の姉妹関係も平成の今日、昔語りとなった。平成の八代目橘家圓蔵に至って、「橘家」は完全に独立峰の亭号になった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。