落語 木戸をくぐれば

第10回「小さんの剣法」
 亡くなる数年前だったが、新宿の紀伊国屋ホールで柳家小さんが「居合抜いあいぬき」を披露したことがあった。



 それは「紀伊国屋寄席」の何百回目かの記念公演の際で、ふだん通りの落語競演に加えて、この「居合抜」と、小さん、志ん朝、小三治の座談会があった。



 「居合抜」というからには「真剣」である。本物の刀だ。『道具屋』のくすぐりではないが、木刀では抜くも抜かないもあったものではない。当方は軟弱な芸能オタク、剣の心得はないが、「居合抜」ならば、抜刀に手間取ることもなかろうから、前後のさまざまな作法をあわせても、二分か三分ですむものだと思っていた。



 ところが、抜身を正眼に構えて微動だにしないまま、小さんは彫刻の立像のように舞台に根を生やしてしまった。気迫のイキとともに冷たく光る刃を一閃、振り下ろしては、また不動の構えに戻る。いつ終わるとも知れず、時間も空間も凍りついてしまった。チャラチャラ光ったりはしない、本物の刀の怖さを思い知らされた。十五分だったか二十分あったか、そのあとの寄席はなかなか落語のモードに戻れなかった。



 明治期には武士出身の落語家が何人かいたが、あの時代に、よりによって芸人に、それも落語家になろうという男が、心身ともにどこまでサムライであったか、怪しいものだ。かの五代目古今亭志ん生も旗本の血筋だったというから、人は見かけによらない。



 五代目柳家小さんが士族の出身という話は聞いたことがないが、武門を捨てた明治期の落語家より、戦後の世の中にも剣を学び続け、剣の中に芸を悟ったかもしれない小さんのほうが、よほど文武両道に秀でていたのではなかろうか。



 古今亭志ん朝は、『刀屋(おせつ徳三郎・下)』を演じるにあたって、小さんから刀の抜き方のアドバイスを受けている。噺の中に抜打ぬきうち斬りがある『首提灯』は小さんの十八番だった。『蔵前駕籠』では、浪士の追剥おいはぎが駕籠の中を見るとき、中からの奇襲を警戒して、刀の切っ先で垂れを上げるのが定石だ。刀に見立てた扇子の扱いが、剣道をやらない他の落語家とは微妙にして決定的にちがっていたはずだが、「小さんの剣法」はもはや、お聴きの方々のイメージの中にのみある。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。