落語 木戸をくぐれば
第2回「噺を覚える」
落語家に師匠と弟子があることは誰もが知っているが、師から弟子へどのようにして芸が伝わるのか、また落語をどうやって覚えてしゃべるのか――、は知られているようで知られていない。芝居や番組のようにシナリオ、台本があって、それを暗記してしゃべっているのだと思っている人もいるようだ。
落語にはそういうものはいっさいない。落語の速記本が売られているが、これは一般読者が読んで楽しむもので、演者のことばの配列と構成は手にとるようにわかるものの、活字に「芸」は記載し切れないから、これは参考資料にはなっても、台本にもシナリオにもなり得ない。
落語の芸―演技は口承で伝わる。あくまでも実演を目と耳でとらえ、それをしっかり覚えて、やがて、それぞれが自分独自の表現法に変えて、また次の世代へ受け継がれていくのである。
伝統的な稽古は、いわゆる対面稽古だ。その際にメモをとることは許されない。そんなことをしていたら目と耳がおろそかになるからである。脇に録音機を置くことも比較的最近まで許されなかった。あとでテープを聴けばいいという、心の緩みがあると真剣な稽古にならない。
一つの噺を三遍稽古するのが伝統的なあり方だ。言い換えれば、三度の稽古で噺をそっくり覚え、その師匠の前で試演して及第かどうかを試されるということになる。
録音、録画をはじめ、さまざまな機器、手段をもつ現代人は、こんな厳しい習練には不向きになっているようだが、戦前までは、これが当たり前の修行方法だった。
六代目三遊亭圓生はよく弟子に、「お前たちは覚えるコツを知らない」と言っていたそうだ。自分の記憶力と集中力だけが頼りの時代を生き抜いた名人のコツとは何だったのか、誰にもわからない。
しかし、コツだけで百も二百もの噺を頭脳のカプセルに納めるわけにはいかないし、たくさん覚えていても表現が拙劣で魅力がなければ、あまり意味はない。
その点、噺の数の多さと高度な芸、つまり落語の量と質とで抜きん出ていた圓生は、稀代の異能人だった。圓生はそれゆえに「名人」へと昇りつめたのだった。
落語にはそういうものはいっさいない。落語の速記本が売られているが、これは一般読者が読んで楽しむもので、演者のことばの配列と構成は手にとるようにわかるものの、活字に「芸」は記載し切れないから、これは参考資料にはなっても、台本にもシナリオにもなり得ない。
落語の芸―演技は口承で伝わる。あくまでも実演を目と耳でとらえ、それをしっかり覚えて、やがて、それぞれが自分独自の表現法に変えて、また次の世代へ受け継がれていくのである。
伝統的な稽古は、いわゆる対面稽古だ。その際にメモをとることは許されない。そんなことをしていたら目と耳がおろそかになるからである。脇に録音機を置くことも比較的最近まで許されなかった。あとでテープを聴けばいいという、心の緩みがあると真剣な稽古にならない。
一つの噺を三遍稽古するのが伝統的なあり方だ。言い換えれば、三度の稽古で噺をそっくり覚え、その師匠の前で試演して及第かどうかを試されるということになる。
録音、録画をはじめ、さまざまな機器、手段をもつ現代人は、こんな厳しい習練には不向きになっているようだが、戦前までは、これが当たり前の修行方法だった。
六代目三遊亭圓生はよく弟子に、「お前たちは覚えるコツを知らない」と言っていたそうだ。自分の記憶力と集中力だけが頼りの時代を生き抜いた名人のコツとは何だったのか、誰にもわからない。
しかし、コツだけで百も二百もの噺を頭脳のカプセルに納めるわけにはいかないし、たくさん覚えていても表現が拙劣で魅力がなければ、あまり意味はない。
その点、噺の数の多さと高度な芸、つまり落語の量と質とで抜きん出ていた圓生は、稀代の異能人だった。圓生はそれゆえに「名人」へと昇りつめたのだった。