落語 木戸をくぐれば

第1回「きょうは何をしゃべろうか」
 寄席へ行くと、ごく簡素なプログラムをくれる。売るのではなく、入場者にもれなく渡してくれる。




 ちょっとした読み物が載っていることもあるが、メインは、いわばメニューのようなもので、その日の、というよりその一興行(楽屋ではこれを〝芝居〟というが)の出演メンバー一覧である。出演順と、おおよその時間進行がわかる。そして、各出演者の出演者の芸の種目が何であるかもわかる。




 演者某が落語家なのか俗曲や端唄の演者なのか、それとも漫談家なのか、某グループが曲芸なのかコントなのか、は一目でわかるように記してある。




 だが、特別なケースを除いて、演目の名称は一切記載されていない。落語家は若手から大看板まで十人近くが高座に上がるが、何をしゃべるかは、プログラムを見ても一切わからない。




 では、楽屋へ行って聞けばわかるのか。あるいは寄席の席亭、つまり経営者を訪ねればわかるのか、といえば、それでもわからない。演じ終わった噺、あるいは只今演じている噺が何かはわかるし、教えてももらえるだろうが、次に高座に上がる落語家が何をやるかは、おそらく〝神のみぞ知る〟である。




 そんな大袈裟な・・・・・・。高座に上がる直前の落語家本人に聞けば――、そんなチャンスがあればの話だけれど、胸の内は聞かせてくれるだろう、とお思いかも知れないが、演者でさえ、高座でマクラを振りながら、あれかこれかと迷うことがずいぶんあるものなのだ。




 その流動性、意外性から生じるものが、寄席という興行場のエッセンスであって、あらかじめ演目が決められているホール落語会や独演会とは別の楽しさがある。




 寄席の演者は楽屋入りすると楽屋帳(近年は根多ねた帳と言う)を見て前に出た演者が何をやったかを知り、それとは題材や色合いのちがう噺をやるよう、人知れず思案をする。




 ホール落語の会などで、前の演者の演目と自分の演目とが、よく考えると〝つく・・〟と判明する場合がある。そんなとき、こだわりなく演目を変えて、プログラムとはちがう特殊な噺を聴かせてくれたのが五代目古今亭志ん生だった。千軍万馬往来のキャリアと事態に即応する度胸があったからこそで、鉄壁の実力あってこその自在な対処だった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。