アーカイヴ配信スペシャル 伊藤銀次のPOP FILE RETURNS

第14回「トワイライト・シンフォニー」特集~初めて褒めてくれた編~
2013/07/26 配信

第14回「トワイライト・シンフォニー」放送後記 from 土橋一夫

「POP FILE RETURNS」第14回放送、お楽しみ頂けましたか?

今回の放送から1983年リリースの4thアルバム『STARDUST SYMPHONY '65-'83』へと話は移り、ここに収められていた「トワイライト・シンフォニー」を特集しました。

1960年代中盤に銀次さんが好きでよく聴いていたレン・バリーの「1-2-3」や、フォー・シーズンズ、シュープリームス、そしてローリング・ストーンズの「Under My Sam」に登場するマリンバのイメージがヴィブラフォンに置き換えられて出来たという「トワイライト・シンフォニー」の制作についての謎解きはとても興味深いものでした。

これを聴いて納得されたファンの方も多いことでしょう。

そして大瀧詠一さんに初めて褒められた曲だ、というお話をされた時の銀次さんの嬉しそうな表情が、とても印象的でした。

当時流行りつつあった打ち込みっぽいタイトな音色を生演奏で再現したサウンドや録音方法について顧みた発言も、面白かったと思います。

まさにこの当時のスタジオ・レコーディングは、実験と試行錯誤の毎日でした。

「生きた音楽には、ある程度の流行廃りがある。そしてその時に聴くメディアの変化によってレコーディング・スタイルも変わってくる」

「人間はアナログで、自分がデジタルにはなれない。だから自分はアナログの極地として考える」

「聴いている人はアナログなんだ」という発言は、銀次さんならではのものでした。

人間のアナログ力を高めることこそが、デジタルや新たな機材を扱うために必要なんですね。

改めて勉強になりました。またこのアルバムから新たに参加された作詞家、銀色夏生さんや、ギタリストの北島健二さんとのエピソードも、楽しいものでした。

さて「POP FILE RETURNS」では皆様からのご意見やご要望もお待ちしております。

銀次さんも必ず目を通しますので、是非番組ホームページの「投稿フォーム」からお寄せ下さい。

それでは第15回目の放送をどうぞお楽しみに。


●次回予告

2016年2月26日更新予定

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出演者プロフィール

伊藤銀次
伊藤銀次(いとう ぎんじ)
1972年、バンド"ごまのはえ"でプロ・デビュー。プロデュース依頼が切っ掛けで大瀧詠一と出会い、はっぴいえんどの解散コンサートに"ココナツ・バンク"として出演するが、ほどなく解散。その後一時期、"シュガー・ベイブ"に在籍し、名曲「DownTown」を山下達郎と共作、また大滝詠一、山下達郎と共に『Niagara Triangle Vol.1』に参加。1977年に初のソロ・アルバム『Deadly Drive』をリリース。その後はアレンジャー/プロデューサーとして沢田研二、アンルイスなど数々のアーティストを手掛ける傍ら、佐野元春のバンド"The Heartland"のギタリストとしても活動。
ソロ・アーティストとして『Baby Blue』『Sugar Boy Blues』『GET HAPPY』『LOVE PARADE』等を発表。1990年代以降はプロデューサーとして手掛けたウルフルズが大ヒットを記録。2007年からは、「I STAND ALONE」という弾き語りライヴを各地で開催し好評を得る。また杉真理らとの"マイルドヘヴン"や、L⇔Rの黒沢秀樹との"uncle-jam"など新たなバンド/ユニット活動も開始。
そしてデビュー40周年を迎えた2012年、ベスト・アルバム 『伊藤銀次 GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~』をリリース!
オフィシャルブログ:「SUNDAY GINJI」
RIO
RIO(リオ)
1974年 三重県生まれ4人姉妹の末っ子
1983年 小学校3年生の時、お絵描き教室の先生にANDY WARHOLの作品集を見せてもらい衝撃を受ける。
1989年 中学校を卒業し、ようやく念願のアメリカへ単身渡る。
1992年 The Cambridge school of Westonを卒業。
東海岸の芸術大学への奨学金制度をもらうが、寒さのあまりカリフォルニアへ。
西海岸カリフォルニア、サンフランシスコのThe Academy of Art college入学
1994年 大学を修了 / オーストラリアへ
1995年 帰国し大阪で輸入の仕事や営業ウーマンを経験
1998年 アルバイトをしながらバンドを組み、ライブをやっていた時にラジオ関係者に声をかけられラジオの世界へ。
大阪を中心に名古屋のZIP-FM、JFN全国ネットなど、FMラジオのDJやMCとして順調に活動していたが
2014年 大阪を離れ、上京。
現在は画家の活動を中心にラジオの番組も続けている。
ラジオDJやMCなどメディアの仕事ではRIOとして活動。
画家としてはRIO UMEZAWAとして活動。
Rio Umezawa Official Web Site
--アーカイブ配信 パーソナリティ紹介--
土橋一夫(どばし かずお)
テイチク等を経て(有)シャイグランス代表となり『Groovin'』を創刊、また"Surf's Up Design"を設立しアート・ディレクターとしてジャケットや書籍等を多数手掛ける。ディレクターとしては杉真理、村田和人、玉城ちはる等の新作、細野晴臣、伊藤銀次、杉真理、須藤薫、村田和人、フィル・スペクター関連やA&M等の再発を担当。著書に『ジャケガイノススメ』、編・監修書に『ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリー』等がある。K-MIX「ようこそ夢街名曲堂へ!」のパーソナリティ/構成を担当中。FLY HIGH RECORDS主宰。
能地祐子(のうじ ゆうこ)
東京生まれ。大学時代から音楽ライターの仕事を始め、現在に至る。音楽誌を中心に、ロックからJ-POP、アイドル歌謡までジャンル問わず評論、紹介記事を執筆中。音楽以外の趣味は、野球観戦。

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