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仕様:縦×横×奥行:約540mm×約692mm×約26mm/重量:約3,180g
◆製造:Mounted Memories
◆生産国:U.S.A.
*数量限定の輸入品のため、品切れの際はご容赦下さい。
販売価格:¥24,000+税
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THE BEATLES Framed Presentation
『エド・サリヴァン・ショー』藤本 国彦

ビートルズが、初めてアメリカの地を踏んだのは1964年2月7日のことだ。午後1時20分、パン・アメリカン航空101便でニューヨークのケネディ空港に降り立った瞬間、正しくそれは、歴史が大きく変わろうとする瞬間でもあった。5000人とも10000人とも言われるファンの大歓声に迎えられた彼らは、11日のワシントン・コロシアムでのアメリカ初公演を含めて、約2週間アメリカに滞在した。
そもそもは、アメリカでの成功は不安視されていたビートルズだ。イギリスではデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が30週間チャートの1位に、それを次ぐ『ウィズ・ザ・ビートルズ』も1位を独走するなど、63年から64年にかけてその勢いは留まることを知らないところまできていたが、アメリカでは懐疑的な見方が多かった。キャピトル・レコードは、ようやく5枚目のシングルにあたる「抱きしめたい」を、アメリカでのデビュー曲に決定する。ところが、イギリス盤を手に入れたラジオ局が「抱きしめたい」を流し始めると、凄まじい状況になっていった。そのただならぬ気配にキャピトル・レコードは、1月13日の発売予定を約1ヶ月早めて12月26日に発売、プレスも20枚万の予定を5倍の100万枚に変えての発売となった。
「抱きしめたい」の反響は日ごとに増して、2月1日、全米チャートで1位にまで到達、それから7週間のもの間その座を守るのである。その後も、「シー・ラヴズ・ユー」が、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」がというように、ビートルズの曲が全米チャートの1位をリレーするという勢いを見せつけた。4月には、ヒットチャートの上位5曲をビートルズの曲が独占するという前人未踏の記録まで達成した。文字通り、1964年のアメリカはビートルズ一色で塗りつぶされることになる。
そのビートルズ旋風の最も象徴的な出来事が、『エド・サリヴァン・ショー』への出演だった。『エド・サリヴァン・ショー』は、言うまでもなく、1948年から放映されていたテレビの人気バラエティ番組だ。司会者はエド・サリヴァンで、コメディアンからクラシックやポピュラー音楽のミュージシャンたちまで多彩なゲストが出演し、彼との会話をはさみながら得意のパフォーマンスを披露するという内容だった。日曜日の午後8時という放送時間も功を奏して、全米中の茶の間で絶大な人気を誇っていた。殊に、1956年のエルヴィス・プレスリーの出演で驚異的な視聴率を記録して以降、そのときどきの若者たちに人気のゲストを招き、それが番組の評判にも拍車をかけた。
ビートルズが初めて出演したのは、2月9日だ。収録が行われるニューヨークのCBSスタジオには、728枚の観覧入場券を求めて55000もの申し込みがあったと言われている。「街がこんなに興奮しているのは初めてだ」というエド・サリヴァンの紹介に続いて、ポールのリード・ヴォーカルによる「オール・マイ・ラヴィング」で演奏が始まる。2本のマイクをポール、ジョージ、ジョンが分け合い、その後ろにリンゴがにこやかに座っている。ひとりひとり名前がテロップされるが、ジョンのところで、「みんなごめんね、ジョンは既婚です」というのが加えられて微笑ましい。
ビートルズは、前後半と2回にわけて「オール・マイ・ラヴィング」、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」、「シー・ラヴズ・ユー」、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」、「抱きしめたい」の計5曲を演奏、途中、エド・サリヴァンは、エルヴィス・プレスリーから番組に届いたという電報を紹介する。「アメリカでの成功を祈る」という文面だ。
2324万世帯、数にして7300万人がそのときテレビの前に釘付けになり、ビートルズが歌い、演奏する姿をみたと言われている。視聴率も72%に達し、彼らが番組に出演しているその時間、ニューヨークでの青少年による犯罪発生率は過去最低を記録したとも、水道利用が番組放映中には激減し、CMになって急増したという報告までもが届けられたという。
いずれにせよ、アメリカをテレビが揺るがせた最も印象的な瞬間であり、ロックにとっては決定的な瞬間であり、アメリカの若者の中には、この番組をみたことがきっかけでミュージシャンの道を選ぶようになったという人も少なくない。この2月9日の出演に続いて、翌週16日にはマイアミのドゥーヴィル・ホテルからの生放送で再び同番組に出演したビートルズは、このときは3500人の観客を前に「フロム・ミー・トゥー・ユー」や「ディス・ボーイ」なども交えて計6曲を演奏、さらに23日の『エド・サリヴァン・ショー』にも出演するなど、合計3回このアメリカ滞在で出演した。ただし、最後の回が放映される23日にはイギリスに帰国した後で、前もって収録されていたものが使われた。
もちろん、国民的なこの人気番組に3週間連続の出演は例外的で、これもビートルズの快挙のひとつに違いなかった。こうやって、ビートルズのアメリカ上陸は凄まじい嵐とともに終わった。エド・サリヴァンは、「英国からやってきて、素敵な思い出を残してくれた」と番組の中で喋ったが、その後の、アメリカばかりか世界中を巻き込む大騒ぎを考えれば、素敵な思い出どころで済ませるようなものではなかった。