YMO40
SOLID STATE SURVIVOR Yellow Clear Vinyl Edition 2020.9.23.OUT
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』41周年に寄せて 吉村栄一
『TECHNODON』『TECHNODON IN TOKYO DOME』『TECHNODON REMIXES Ⅰ&Ⅱ』(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)2020.4.22.OUT
YELLOW MAGIC ORCHESTRA ALFA YEARS ALBUMS REISSUE
streaming and download now available
YELLOW MAGIC ORCHESTRA ALFA YEARS ALBUMS REISSUE
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YMO最新リマスタリング版の海外配信が2019年5月31日より開始!
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #5
高野寛 × 坂本美雨 Vol.1
HIROSHI TAKANO www.haas.jp
MIU SAKAMOTO www.miuskmt.com
Yellow Magic Children 〜40年後のYMOの遺伝子〜 2019/3/14(thu)開催!
INTERVIEW: KYOKO SANO
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #5
高野寛 × 坂本美雨 Vol.2
HIROSHI TAKANO www.haas.jp
MIU SAKAMOTO www.miuskmt.com
Yellow Magic Children 〜40年後のYMOの遺伝子〜 2019/3/14(thu)開催!
INTERVIEW: KYOKO SANO
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #6
矢野顕子 × 槇原敬之 Vol.1
AKIKO YANO www.akikoyano.com
NORIYUKI MAKIHARA makiharanoriyuki.com
INTERVIEW: KYOKO SANO
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #6
矢野顕子 × 槇原敬之 Vol.2
AKIKO YANO www.akikoyano.com
NORIYUKI MAKIHARA makiharanoriyuki.com
INTERVIEW: KYOKO SANO
YMO40 celebration comments
最高のリスペクトを。
YMOが存在していなければ、若いころの私の音楽生活は、これほどまでに面白く興味をそそられるものにはならなかった。
あなた達があなた達でいてくれて、そして私の人生に信じられないくらいの深い影響を与えてくれた事に感謝します。
デリック・メイ
You have my utmost respect without YMO my young musical life never would’ve been as interesting or intriguing as it was, thank you for being who you are and having an incredible and profound impact on my life.
Derrick May
DERRICK MAY www.facebook.com/derrickmayday
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #10
中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES) × Seiho Vol.1
MASAYUKI NAKANO(BOOM BOOM SATELLITES) nakanomusic.com www.bbs-net.com
SEIHO seihooo.com
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #10
中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES) × Seiho Vol.2
MASAYUKI NAKANO(BOOM BOOM SATELLITES) nakanomusic.com www.bbs-net.com
SEIHO seihooo.com
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #9
三宅裕司 × 小倉久寛(劇団スーパー・エキセントリック・シアター) Vol.1
YUJI MIYAKE artist.amuse.co.jp/artist/miyake_yuji
HISAHIRO OGURA artist.amuse.co.jp/artist/ogura_hisahiro ameblo.jp/ogurahisahiro
SUPER ECCENTRIC THEATER www.set1979.com
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #9
三宅裕司 × 小倉久寛(劇団スーパー・エキセントリック・シアター) Vol.2
YUJI MIYAKE artist.amuse.co.jp/artist/miyake_yuji
HISAHIRO OGURA artist.amuse.co.jp/artist/ogura_hisahiro ameblo.jp/ogurahisahiro
SUPER ECCENTRIC THEATER www.set1979.com
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
YMO40 celebration comments
“ぼくがYMOの音楽に関わっていた1980年代前半、海外ではほんの少数の人たちにしか認知されていなかったのに、今になってこれだけもてはやされているのは実に面白い現象です。
「生き続ければあなたの時が来る」、
モーズ・アリスンの言葉ですが、おめでとう!”
ピーター・バラカン
PETER BARAKAN peterbarakan.net
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #8
高田漣 × 森山公稀(odol) Vol.1
REN TAKADA rentakada.com
KOKI MORIYAMA odol.jp
INTERVIEW: KYOKO SANO
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #8
高田漣 × 森山公稀(odol) Vol.2
REN TAKADA rentakada.com
KOKI MORIYAMA odol.jp
INTERVIEW: KYOKO SANO
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YMO40 "TALK ABOUT YMO" #4
電気グルーヴ Vol.1
電気グルーヴ OFFICIAL WEB SITE
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #4
電気グルーヴ Vol.2
電気グルーヴ OFFICIAL WEB SITE
『WINTER LIVE 1981』HDリマスター版発売記念スペシャルインタビュー
奥村靫正(アート・ディレクター)
1981年、YMOと一緒にどれだけ新しいことができるかに挑戦しました。
―― 奥村さんは1970年代初頭から伝説のデザイン・グループ“WORKSHOP MU!!(1970〜1976)”で細野晴臣さんや大滝詠一さん関連と交流があったんですよね。レコード・ジャケットのアート・ワークも多数手がけています。
いちばん始めに手がけたのが1971年細野さんプロデュースのLP、小坂忠「ありがとう」でした。それから大滝詠一のナイアガラ・レーベルとLP「HAPPY END」。それから、LP、「サディスティック・ミカ・バンド」、ミカバンドには高橋幸宏がいました。1971年ぐらい。もう50年近く経つんですね。
細野くんとは学生時代から知り合いでした。本当にもう長いつきあいになります。
その後1977年に独立してザ・ステューディオ・トウキョウ・ジャパン(現TSTJ Inc.)を設立して、加藤和彦、ムーンライダーズ、ティンパンアレイ等数多くのミュージシャンと関わってきました。
ただ、YMOに関しては、全面的にアートディレクターとしてかかわったのは1980年の2回目のワールド・ツアーから。一緒に行動して、武道館公演のポスターやパンフレットを作ったり、翌年に出るワールド・ツアー写真集『OMIYAGE』のデザインもしました。
そのときにできたのがいわゆる温泉マーク。これはYMOのロゴをあらためて頼まれたわけではなくて、いろいろいたずら書きでYMOのロゴを描いているうちに、温泉のマークってYとMとOで表現できるなって、ふとできたものなんですよ。
―― それまでのYMOはハイテクで未来的なイメージだったのに、温泉というとても日本的なマークがロゴになって、すごく驚きました。
そのギャップは狙いましたね。ぼくがYMOをやる直前が彼らのセールス面での頂点で、それに伴うストレスもすごくあったんでしょう。このへんでちょっとイメージを変えたいという思いが伝わってきた。それまでのイメージを払拭できるようなアイコンとして温泉マークはぴったりだったんじゃないでしょうか。
それと並行して幸宏さんのブランド「ブリックス・モノ」のロゴ・デザインを作っています。
私たちの世代は1970年代の後半に音楽だけじゃなくグラフィック・デザインもニューウェイヴの時代に入り、従来の感覚を払拭してどこまで新しいことができるかをみんな模索するようになったんですね。
YMOのアルバム・ジャケットのデザインは『BGM』が最初なんですが、あの歯ブラシのジャケットは、まさにそういう意識から生まれた。アーティスト写真もなく、それまでのYMOのイメージとはいっさい繋がらない。
あれは、メンバーにもレコード会社にも一発で通ったデザインでした。そもそもYMOは当時異常に忙しくて、3人揃ってジャケット・デザインの打ち合わせをする時間もない。スケジュールがタイトで早くデザインを決めなきゃいけないのに、3人揃わないので、レコーディング・スタジオでひとりひとりとちょっとずつ話したんだけど、どうにもアルバムの内容もデザインになにを望むのかもわからない。そもそもアルバムの内容やタイトルもわからないままの段階でデザインを進めなきゃいけなかったんです。
―― デザインのヒントも要望もない?
そう、音も当然ない。いくつかの曲のコード進行やリズムなどが断片的にできているような段階でデザインを考えなきゃいけなかった。ぼくは、ふつうはもちろんできあがった音楽を聴いて、そこからデザインを考えるのだけど、それができない。ただ、3人それぞれから、これまでのYMOのイメージを変えたいという意志だけは明確に伝わってきていたので、デザインによってその意志がファンの人にもはっきりわかるようにしたいと考えました。
それまでのYMOのイメージから、どこまで遠くにいけるか。そういう意識で事務所にあった何千もの膨大な写真、雑誌などの資料をめくっていくうちに、ふと手が止まったのが1960年代のアメリカの雑誌に掲載されていた歯ブラシの広告。すごく小さな広告だったのだけど、なにか気になって、水彩絵の具で数時間掛けて模写したんです。その絵を、YMOにこれはどうだろうってぶつけたら、3人とも、なにかこれいいねって感じになってすぐ決定になったんです。
―― いろいろな意味ですごく話題にもなったデザインですよね。
80年代から90年代にかけて、いくつかの中・高の美術の教科書にこのジャケットが取り上げられていて、それを見てデザインを志したデザイナーの人もぼくの身近にけっこういたりするんですよ。
ジャケットのYMOとBGMのタイポグラフィーはゴム印です。アルバム・タイトルが『BGM』に決まった時に、原宿のセントラル・アパートにあったぼくの当時の事務所に細野くんが来て、どういうロゴにしようかという話になったんですよ。彼が事務所にあった英文のゴム印を捺して作りました。
活字ともちがうし、凝ったロゴ・デザインでもない。歯ブラシの絵とこのロゴ、裏はワールド・ツアーで税関に提出した機材リストと、なにか日常の風景や業務とBGMというタイトルがマッチして、理屈じゃない不思議な世界がうまく浮かび上がってきましたね。
―― 『テクノデリック』のときは、最初はソ連のコルホーズの女性のジャケットだったのが、急きょメンバーの写真を使用したジャケットに変更されました。
『テクノデリック』のときは、『BGM』の売り上げが下がったので、今度はアーティスト写真が載ったジャケットにしてほしいとレコード会社から言われました。YMOの音楽がヘヴィなものに変わっていたし、売り上げが下がるのはメンバーもわかっていたことでしたが、レコード会社としては、せめて初回プレスだけはメンバーの顔が載っているものにしてくれと。
それで急きょ初回プレスのデザインを写真付きのものに変えることにしたのですが、フォト・セッションを組む時間もない。しかたなくぼくがレコーディング・スタジオにヘア・メイクさんだけ連れて写真を撮りに行くことになったんです。
―― メンバー全員、すごいメイクをしてますよね(笑)。
そう。3人はそもそもジャケットに顔を載せることに積極的じゃなかったし、とくに並んで写真を撮るのはいやだということで、ぼくがメイクさんに化粧品を借りて顔をべったり塗ってポラロイドで撮影した。この頃、YMOの撮影では顔を3色に塗ったり、新聞紙を貼ったり、そういった素顔を見せない写真が多かった。これもそういう系統の写真ですね。で、スタジオの外のロビーで撮ったから、細野くんは当時の赤電話、幸宏と坂本くんは備品のスタンド灰皿を持って、なにか不思議な写真になりました(笑)。
また、このときは、テクノデリックのフォントも作りました。当時まだコンピューターは普及していなかったので一字一字手書きです。それを写植にして、レコード・ジャケットの裏表はもちろん、ブックレットやレコード・レーベルの文字まですべてこれにしました。ロシア構成主義やモダニズムからデジタル感を強めて作ったのがこのフォントです。
フォント「TECHNODELIC」
―― そしていよいよ1981年暮れにツアー“WINTER LIVE”が始まります。
『BGM』と『テクノデリック』のデザインをした流れで、1981年の“WINTER LIVE”の舞台美術もぼくが手がけることになりました。
YMOはコンサートでの舞台美術も、やはりそれまでとはイメージを変えたいということで、いろいろ考えました。
前の年のワールド・ツアーまでのYMOのコンサートは、シンセサイザーやコンピューターをステージの上に積み上げてましたよね。ぼくは、まずそれを隠しちゃうのはどうだろうと。ぼくにはどうも積み上がった機材というのが美しく見えなかったということもありました。
当時、お能の稽古を多少していまして、手元に扇子がいくつもあったんです。ふと扇子をいくつか組み合わせたことからあのセットが生まれました。楽器もプレイヤーも隠しちゃう。YMOの音楽もストイックなものになっていたし、いわゆるロックのステージとは遠ざかる方向にしたんです。演出としても派手な特殊効果などはなし、ただ照明と、いくつかの光の動きで音楽を際立たせたいと。
セット全体に蛍光塗料を塗った紙が貼ってあります。そのため薄暗いステージの中でもぼんやりと光を放っている。後ろで光が飛んだりしてますが、あれは打ち合わせのときに細野くんが人魂を飛ばしたいってアイデアを出したんじゃなかったかな(笑)。その火の玉と蛍光灯がくるくる回る光の風車は、今でしたらコンピューター制御でもっと複雑な動きをさせられますが、当時はまだ人力の時代なので、タイミングに合わせて後ろで人が操作してます。
―― コンサートの冒頭が映像で始まるというのも斬新でした。
コンサートの最初は映像で始まるんですが、それはぼくが16ミリ・フィルムで撮ったものです。最初は川崎の工場。工場の扉が開いて中に入っていくとYMOのコンサート会場という演出。YMOの映像は世田谷の東宝スタジオでのゲネプロのときに撮影しました。
実際のコンサートのステージでは、前にスクリーンがあり、そこに映像が投影され、工場の中のYMOが見えると、みんな本物のYMOだと思って歓声を上げるのですが、やがてなんかおかしいぞと(笑)。
1曲まるまる映像しか見せず、次の曲でようやくスクリーンが巻き上げられるんですが、その後ろにもまた薄い幕があって、本物のYMOはぼんやりとしか見えない。なかなか姿を見せないんです。
写真で顔を隠すのと同様に、はっきりと姿形を見せないというのがこの頃のYMOの意識だったんでしょう。すごく演劇的な演出でもありますよね。唐十郎さんの状況劇場とか、芝居が始まっても幕が開かなかったり、役者が出てこなかったり…。冒頭15分ぐらいステージに誰もいないなんていう演出がよくありました。いつだったか上野公園のテントでの上演のときは、芝居が始まっても誰も出てこずに、どうするんだろうと思っていたら、ステージの背後にある不忍池の対岸から唐さんが泳いでやってきたということもありました(笑)。そういうじらしでの盛り上げ方ですね。ぼくも70年代にはいろいろなアングラ芝居を手伝っていたので、その感覚をYMOのコンサートにも持ち込んだんです。
―― コンサートの模様を収録した映像作品のディレクションについて教えてください。
この“WINTER LIVE”を映像作品にするとき、ぼくとしては本当はステージ全体を遠景から固定カメラで撮って、それがただ1時間流れているとか、そういうものにしたいという気持ちがありました。ステージで光が動き、照明が曲ごとに変わっていく様がただ映っている映像作品。
―― アンディ・ウォーホールの映画『エンパイア』のような?
そういう現代美術寄りの映像にしたかったんだけれど、さすがにそのアイデアはレコード会社から難色を示されて(笑)、メンバーの顔や演奏シーンのアップもカットして入れてほしい、と。
ぼくも仕事ですから、それに応えて演奏する姿や顔のアップのシーンを入れたり、メンバーやロシア構成主義の建築の写真をインサートしたり、別の方向でおもしろいなと思う映像にしました。写真とかちょっと入れすぎたかなと思わないでもないですが。もっとミニマルな感じでもよかったかな。
この“WINTER LIVE”での舞台セットは翌年のADC(東京アートディレクターズクラブ)賞をいただくことになりました。ADCには空間の部門があって、周囲から応募したほうがいいという声があったのですが予想以上に好評で、いまでも多くの人の心に残っているというのはうれしいですね。
YMO関係ではその後もメンバーのソロ作品も含めて多くのデザインを行ないましたが、ぼく個人としても、1981年の『BGM』『テクノデリック』のジャケットのアート・ワーク、そしてこの“WINTER LIVE”のステージ・セットのデザインはとりわけ心に残る、印象的な仕事となりました。
取材・構成/吉村栄一 撮影/山本佳代子
撮影 伊島薫
YUKIMASA OKUMURA tstj-inc.co.jp/#o-works
奥村靫正(おくむらゆきまさ)プロフィール 1947年愛知県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、伝説的なデザイン集団 “WORKSHOP MU!!”に参加。商品デザインなどのほか音楽の仕事にも傾倒し、細野晴臣周辺と緊密な関係を築く。79年にThe Studio Tokyo, Japan.(現TSTJ Inc.)を設立。YMOとも深く関わるようになり、ジャケットやポスターのデザインのみならず、YMOの全体的なヴィジュアル・コンセプトの立案も。
※インタビュー当日、奥村さんと共に来社した愛犬“サテュロス”ちゃん(13歳・♂)。居合わせたaiboとの2ショット。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA
WINTER LIVE 1981
HD REMASTER
2020-2-5 OUT
Blu-ray
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YMO40 PLAYLIST
Vol.7「YMO」Selected by Seiho
10月末日。何をするわけでもなく
何処に行くわけでもなく
ただ集まって、新しい遊び場を探していた。酒を呑み楽しそうに騒ぐ同世代を横目に
「ハロウィン? 馬鹿らしい。」
心底そう思っていたけど、少しの羨ましさが口から飛び出した。
その夜、ガード下にある小さな扉を見つけた。
普段なら意気地がない僕たちは、通り過ぎて安い居酒屋に向かっていたが、今日は違った。
大抵、無口な紳士が立つ8席ほどの小さなバーが相場と思っていたが、
扉を開けて驚いた。そこは、とても白く硬かった。
無機質な硬さ、無菌の白さではなく
とてもオーガニックに白くて硬い。
何か変われる気がした。天高の白に響く足音
壁を触るとひんやりと冷たい
しかし、その奥はほんのりと温い。僕たちはワクワクが止まらず、その白を進んでいった。
そこからの話はまた別の機会に。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.スネークマンショー5/YMO |
2.来たるべきもの/YMO |
3.the vase/Seiho |
4.Mars/YMO |
5.TONG POO/矢野顕子 |
6.Shadow on the ground/YMO |
7.後奏/YMO |
8.COLLAPSE (Demoware)/Seiho |
9.the end of asia/YMO |
Profile
Seiho 大阪出身のアーティスト/プロデューサー/DJ。
米 Pitchfork や米 FADER など多くの海外メディアからのアテンションを受けながら、
LOW END THEORY、SXSWといった海外主要イベントへも出演。
国内外問わずアーティストのプロデュースやリミックスを手がける他、
ファッションショーや展覧会などの空間音楽、映像作品の音楽プロデュースも行う。
自身でもインスタレーション作品を発表するなど、音楽家の垣根を超え、表現の可能性を追求している。
公式Instagram:www.instagram.com/seiho777
公式Twitter:twitter.com/seiho777
公式HP:seihooo.com
Vol.6「The Essential」Selected by 中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)
純粋に好きな曲を選んでいたら自然とグレイテストヒッツ的なプレイリストになっていました。初めて触れる人にも昔からのファンにも楽しんで頂けたらと思います。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.イエロー・マジック(東風)/YMO |
2.ファイアークラッカー/YMO |
3.コズミック・サーフィン/YMO |
4.CASTALIA/YMO |
5.BEHIND THE MASK/YMO |
6.SOLID STATE SURVIVOR/YMO |
7.DAY TRIPPER/YMO |
8.SNAKEMAN SHOW [5]/YMO |
9.THE END OF ASIA/YMO |
10.NICE AGE/YMO |
11.CITIZENS OF SCIENCE/YMO |
12.キュー/YMO |
13.体操/YMO |
14.前奏/YMO |
15.後奏/YMO |
16.君に、胸キュン。-浮気なヴァカンス-/YMO |
17.音楽/YMO |
18.以心電信/YMO |
Profile
中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES) 1997年に川島道行とBOOM BOOM SATELLITESを結成。エレクトロニックとロックの要素を取り入れながら新しい未知の音楽を創造し続け、ヨーロッパR&Sよりリリースされた12インチシングルをきっかけに、数々のヨーロッパ大型ロックフェスティバル、海外ツアーを敢行し多くのメディアに大絶賛され、ライブバンドとして高い評価を受けた。2016年 川島道行が脳腫瘍により逝去。バンドとしての活動が終了し、川島と果たせなかったラストライブを2017年6月にスタジオコーストにて開催し、2018年3月、このライブを収めた映像の発売をもってBOOM BOOM SATELLITESとしてのプロダクツリリースを終える。
BOOM BOOM SATELLITESの活動停止後、プロデュース、コンポーズ、アレンジ活動を本格的に開始させる。
中野ミュージックを立ち上げ、様々なアーティストのプロデュースを手がける。
Vol.5「同世代にオススメしたいYMO」Selected by 森山公稀(odol)
いつまでも古くならないYMOの音楽ですが、同世代と一緒に聴きたいなと思った曲を、今もよく聴く2枚のアルバムからセレクトしました。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.ジャム/YMO |
2.ラップ現象/YMO |
3.新舞踊/YMO |
4.音楽の計画/YMO |
5.灯/YMO |
6.体操/YMO |
7.キュー/YMO |
8.ユーティー/YMO |
9.カムフラージュ/YMO |
10.前奏/YMO |
11.後奏/YMO |
12.来たるべきもの/YMO |
Profile
森山公稀(odol) 2014年に東京にて結成したバンドodolのPiano / Synthesizer、そして全楽曲の作曲を担当。
東京藝術大学出身であり、楽曲提供をはじめ、舞台や映像作品の劇伴なども手掛けている。
2019年1月にNHK BSプレミアムにて放送された、名盤ドキュメント「YMO"ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー"」に出演。
2019年6月19日にodolの新曲『眺め / POSE』を配信リリースする。
Vol.4「カバー曲にみるYMOの本質」Selected by 高田漣
日本屈指の作曲家を三人も配しながらもあえてカバーするという行為はYMOというバンドのアティテュードを知るうえで非常に重要なファクターだと思われます。
このほかにも再結成の再生の時には復活のエルヴィス・プレスリーを模して「ポケットいっぱいの虹」をシングルカットしたり、教授の教育シリーズ「スコラ」のCDブックのドラム&ベース編ではビートルズの「ハローグッバイ」やスライ&ザ・ファミリーストーンの「サンキュー」をカバーしたりと実に興味深いです。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.ファイアークラッカー/マーティン・デニー |
2.タイトゥンアップ/アーチー・ベル&ドレルズ |
3.デイトリッパー/ビートルズ |
4.花はどこへ行った/ ピート・シーガー |
5.放射能 - Radioactivity /クラフトワーク |
6.ファイヤークラッカー/YMO 1stアルバム収録の細野さん発案のYMO結成にまつわる重要なカバー。結成のきっかけがカバーだったというのも重要なポイントですね。 |
7.タイトゥンアップ/YMO 「増殖」に収録されたアーチ・ベルズ&ザ・ドレイルズのカバー。YMO結成以前にも大瀧詠一の「五月雨」でも引用されたベースラインに細野さんのブラックミュージックへの深い愛情がみえます。 |
8.デイトリッパー/YMO 「ソリッド・ステイト・サバイバー」収録のビートルズの名曲。DEVOによるストーンズの名カバー「サティスファクション」に影響されたとは有名な話であるがビートルズを選曲するあたりに幸宏さんの趣味が見え隠れするのが良いです。 |
9.花はどこへ行った/YMO 人気絶頂の頃に開催された写楽祭でのカバー。原曲はアメリカン・フォークのゴッドファーザーのピート・シーガー。この喧噪の時期にこの楽曲をカバーするというところにYMOの皮肉に満ちたパンク精神的なものを感じずにはいられません。 |
10.放射能 - Radioactivity/YMO 元々は細野さんソロでカバーされていたクラフトワークの名曲。NO NUKES2012においてYMO名義でもカバーされ音源化もされた。 |
Profile
高田漣 音楽家、プロデューサー、作曲家、編曲家、マルチ弦楽器奏者、執筆家。
1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。少年時代はサッカーに熱中し、14歳からギターを始める。2002年ソロ・デビュー。自身の活動と並行して、他アーティストのアレンジ及びプロデュース、映画、ドラマ、舞台、CM音楽を多数担当。2017年、オリジナル・アルバム「ナイトライダーズ・ブルース」をリリースし、第59回 日本レコード大賞 優秀アルバム賞を受賞。2019年3月には7枚目のオリジナル・アルバム「FRESH」をリリース。
Vol.3「お外で聴きたいYMO」Selected by DAOKO
お家で聴くときはアルバム全曲通してゆっくり聴くけれど、歩きながら音楽を聴くのが特に好きなので気持ちが高揚するような曲たちを選びました。テンポに合わせて歩くとたのしい。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.イエロー・マジック (東風)/YMO |
2.マッド・ピエロ/YMO |
3.RYDEEN/YMO |
4.NICE AGE/YMO |
5.カムフラージュ/YMO |
Profile
DAOKO 1997年生まれ、東京都出身。ラップシンガー。
15歳の時にニコニコ動画へ投稿した楽曲で注目を集め、2015年3月女子高生にしてTOY’ S FACTORY から1st アルバム『DAOKO』にてメジャーデビュー。2016年4月には学校法人・専門学校HAL2016年度新CMのCMソングを担当。2017年8月18日公開の映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」主題歌である米津玄師 プロデュース楽曲 DAOKO × 米津玄師『打上花火』アニメーションMVが2億4千万視聴(2/14現在)を越え勢いはとまらない。2018年、小林武史プロデュースによる楽曲「終わらない世界で」が、9月27日にサービスが開始される任天堂 /Cygames によるアクションロールプレイングゲームアプリ『ドラガリアロストTM』主題歌に決定。12月には待望の3rdアルバム「私的旅行」が発売。年末、第69回NHK紅白歌合戦に出場。今最も輝く女性アーティストとなる。
Vol.2「深層心理に刻まれたYMO」Selected by 片寄明人
YMOに夢中になったのは11歳から13歳の頃で、あまりにも音楽原体験に近すぎるため、その影響を自覚していませんでした、でも今回聴き直し、その後の音楽嗜好の原点がYMOによって築かれていたのかもしれないことに気づき、愕然としました。そんな自分の深層心理に刻まれている曲たちです。
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.イエロー・マジック(東風)/YMO R&B的なフィーリングも感じるイントロのフレーズがたまらなく好きです。The RAH Bandの先を行ったスペース・ディスコが味わえるUS MIXで。 |
2.TECHNOPOLIS/YMO コードが変わってもベースがステイしている曲が好きなのは、このAメロに刷り込まれた感覚なのかもしれません。 |
3.Nice Age/YMO クールでポップ。ニューウェーヴ的な感性を教えてもらった名曲。スネア・ドラムの音色が気持ち良すぎます。 |
4.Tighten Up/YMO メイジャー7thのカッティングとファンキーなグルーヴの組み合わせが好きな自分の原点がここにあります。 |
5.千のナイフ/YMO メイジャー7thのカッティングとファンキーなグルーヴの組み合わせが好きな自分の原点がここにあります。 |
6.マス/YMO 初めて聴いた日から今日までの長い間、心の中に残っている曲です。せつなく、恐ろしいメロディー。ストリングス的に入ってくるシンセの旋律も素晴らしいです。 |
7.来たるべきもの/YMO 映画「2001年宇宙の旅」のラストやザ・ビートルズ「A Day In The Life」のエンディングよりも先に体験したサイケデリックな快楽。至福に包まれた春の日の記憶。 |
8.ジャム/YMO ヒョロヒョロ〜っとしたシンセの音にまず心を射貫かれました。リズムの質感、ビートリッシュなボーカル・メロディーも大好きです。 |
9.灰色の段階/YMO ファンキーでスピリチュアル、彼岸の名曲。汽笛のようなイントロ、ドラム・パターンをはじめ、サウンド・デザインに時を超えた魅力があります。 |
10.THE MADMEN/YMO ボーカルに絡むベース・ラインが異常にクールなファンク・ポップ。細野晴臣さんの音楽からファンキーという感覚を教わりました。 |
Profile
片寄明人 GREAT3のボーカル、ギター。妻のショコラとChocolat & Akitoとしても活動中。DAOKO、SHE IS SUMMER、TENDOUJIなど多くのミュージシャンのプロデュースも手がける。NHK-FMで毎日曜16時から放送中の70’s、80’s洋楽専門番組「洋楽グロリアスデイズ」のDJも担当中。
Vol.1「みんななかよくしようね」Selected by ナイツ・塙宣之
先日、中野サンプラザ公演にお花を出した御礼で細野さんから届いたハガキに書いてあった言葉
Apple Music, Spotify, AWA, KKBOX, LINE MUSIC, etc.
1.RYDEEN/YMO ド定番、結婚式の入場曲に使いました。今も「漫才サミット」の出囃子に使っています。 |
2.INSOMNIA/YMO ゆったりとした曲調に突然くる変化のハネは僕らの漫才にも活かされています。中学時代聞き過ぎて寝不足になった。INSOMNIAは不眠症という意味だった。 |
3.音楽/YMO 先日TOKYO FMの坂本美雨さんのラジオに出て改めて聞き始めました。 |
4.SELF PORTRAIT/坂本龍一 小説「1984」をこの曲を聴きながら読むと臨場感が出ます。1984年に作った曲。 |
5.FOCUS/YMO 「世界の終末ウィークエンド」というフレーズが好きでよく一人で口ずさみます。 |
6.希望の河(インストバージョン)/YMO 歌有りも好きですが、なぜかこの曲のインストバージョンが大好きです。カチカチくるリズム感がいいです。 |
7.三国志メインテーマ/細野晴臣 NHKの人形劇三国志が好きで見てました。 |
8.STAIRS/YMO 電気グルーヴのまりんさんが一番好きなYMOの曲として紹介してました。聞けば聞くほどトリコになります。 |
9.マス/YMO いつ聞いても新しい気がする。昔から老けている曲なのでだんだん年相応になってきた。 |
10.以心電信/YMO 幸宏さんしかうまく歌えない曲。ボーカル付きの中で一番好きな曲。 |
Profile
ナイツ・塙宣之 2001年、土屋伸之とコンビを結成。
電気グルーヴのラジオからYMOを知り、好きになりました。
中学・高校のお小遣い、アルバイト代は全て3人の作ったCDに使いました。
漫才師として音を楽しませる芸の原点はYMOにあります。
ナイツの生みの親、いや生みのおじさん3人組。
これからもずっと楽しませてくださいね。
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Vol.1
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Vol.2
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #7
片寄明人 × DAOKO Vol.1
AKITO KATAYOSE www.great3.com/akito
DAOKO daoko.jp
INTERVIEW: KYOKO SANO
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #7
片寄明人 × DAOKO Vol.2
AKITO KATAYOSE www.great3.com/akito
DAOKO daoko.jp
INTERVIEW: KYOKO SANO
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Vol.1
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Vol.2
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #3
村井邦彦 × 川添象郎 Vol.1
KUNIHIKO MURAI
東京都出身。慶應義塾大学在学中に名門バンドサークル、ライト・ミュージック・ソサエティに所属。大学3年で赤坂にレコード店「ドレミ商会」をオープン。1967年にヴィッキー「待ちくたびれた日曜日」の作曲を担当し作曲家としてデビュー。1969年にパリ・バークレー音楽出版社と「マイ・ウェイ」などの出版権利を契約し、音楽出版社アルファミュージックを設立。1977年にアルファレコードを設立し、荒井由実、YMO、赤い鳥、ガロ、サーカス、吉田美奈子などをプロデュース。事業の海外進出を期に1992年に活動の拠点をアメリカに移す。現在はアメリカと日本を行き来し活躍中。2017年には作家活動50周年を迎える。
SHORO KAWAZOE
1941年東京生まれ。1959年に渡米し、フラメンコ・ギタリスト、前衛ミュージカルのミュージシャンをつとめたほか、スペインにも渡航。帰国後はフラメンコ舞踏団を結成。父・川添浩史の文楽のアメリカ紹介の事業にも携わる。1970年ミュージカル「ヘアー」の日本公演を企画。小坂忠らを日本人キャストとして起用した。日本人として異例の海外でのショー・ビジネス経験の豊富さを生かし、村井邦彦とともに立ち上げたアルファレコードではYMOの海外進出の立役者となった。アルファレコード退社後は空間プロデュースや巨大イベントのプロデュースを担当。2006年には約25年ぶりにフリーの音楽プロデューサーとして青山テルマを手がけてシングル曲「そばにいるね」で音楽ダウンロード販売のギネス記録を作った。
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #3
村井邦彦 × 川添象郎 Vol.2
KUNIHIKO MURAI
東京都出身。慶應義塾大学在学中に名門バンドサークル、ライト・ミュージック・ソサエティに所属。大学3年で赤坂にレコード店「ドレミ商会」をオープン。1967年にヴィッキー「待ちくたびれた日曜日」の作曲を担当し作曲家としてデビュー。1969年にパリ・バークレー音楽出版社と「マイ・ウェイ」などの出版権利を契約し、音楽出版社アルファミュージックを設立。1977年にアルファレコードを設立し、荒井由実、YMO、赤い鳥、ガロ、サーカス、吉田美奈子などをプロデュース。事業の海外進出を期に1992年に活動の拠点をアメリカに移す。現在はアメリカと日本を行き来し活躍中。2017年には作家活動50周年を迎える。
SHORO KAWAZOE
1941年東京生まれ。1959年に渡米し、フラメンコ・ギタリスト、前衛ミュージカルのミュージシャンをつとめたほか、スペインにも渡航。帰国後はフラメンコ舞踏団を結成。父・川添浩史の文楽のアメリカ紹介の事業にも携わる。1970年ミュージカル「ヘアー」の日本公演を企画。小坂忠らを日本人キャストとして起用した。日本人として異例の海外でのショー・ビジネス経験の豊富さを生かし、村井邦彦とともに立ち上げたアルファレコードではYMOの海外進出の立役者となった。アルファレコード退社後は空間プロデュースや巨大イベントのプロデュースを担当。2006年には約25年ぶりにフリーの音楽プロデューサーとして青山テルマを手がけてシングル曲「そばにいるね」で音楽ダウンロード販売のギネス記録を作った。
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
YMO40 photo gallery Photography by Kenji Miura
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Sources:
※
写真集『40 ymo 1979-2019』8月26日(月)発売予定
三浦憲治 著
本体価格:5,000円
※B5判(横=天地182×左右257)・左開き・224ページ予定・カラー写真
KADOKAWA 刊
www.kadokawa.co.jp/product/321811001054
★
婦人画報 7月号 特集「YMO40 彼らがいた時代」 6月1日(土)発売
特別定価:1,300円
ハースト婦人画報社 刊
www.hearst.co.jp/brands/fujingaho
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #1
小山田圭吾 × 砂原良徳
CORNELIUS www.cornelius-sound.com
YOSHINORI SUNAHARA ysst.info
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
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Vol.1
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Vol.2
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #2
小池美波(欅坂46)Vol.1
MINAMI KOIKE KEYAKIZAKA 46 OFFICIAL WEB SITE
YMO40 "TALK ABOUT YMO" #2
小池美波(欅坂46)Vol.2
MINAMI KOIKE KEYAKIZAKA 46 OFFICIAL WEB SITE
YMO40 "INSIDER'S VOICE" #2
小林克也
KATSUYA KOBAYASHI katsuyakobayashi.tumblr.com
INTERVIEW: EIICHI YOSHIMURA
WINTER LIVE 1981
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
WINTER LIVE 1981
HD REMASTER
2020-2-5 OUT
Blu-ray
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【購入特典】
■Sony Music Shop:アルバム『TECHNODELIC』アートワークのフォント ※2020年2月5日までの購入限定
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■Amazon:オリジナルトートバッグ ※先着順
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■全国CDショップ / オンラインショップ:オリジナルステッカー ※先着順
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ヨドバシカメラ マルチメディア Akiba
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ヨドバシカメラ マルチメディア梅田
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[広島県]
タワーレコード 広島店
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タワーレコード アミュプラザ博多店
タワーレコード 福岡パルコ店
浮気なぼくら/浮気なぼくら インストゥルメンタル
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
ALFA YEARS ALBUMS
REISSUE #4
2019-8-28 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
浮気なぼくら NAUGHTY BOYS
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
MHJL-86~87 9,000yen +tax [Completely Limited]
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Standard Vinyl Edition [33 1/3rpm]
MHJL-88 3,700yen +tax [Completely Limited]
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浮気なぼくら インストゥルメンタル NAUGHTY BOYS INSTRUMENTAL
Standard Vinyl Edition [33 1/3rpm]
MHJL-89 3,200yen +tax [Completely Limited]
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High Resolution Audio
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浮気なぼくら NAUGHTY BOYS
+
浮気なぼくら インストゥルメンタル NAUGHTY BOYS INSTRUMENTAL
SACD Hybrid
MHCL-10107~8 4,500yen +tax
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SERVICE
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
ALFA YEARS ALBUMS
REISSUE #4
2019-8-28 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
SERVICE
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
MHJL-90~91 9,000yen +tax [Completely Limited]
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Standard Vinyl Edition [33 1/3rpm]
MHJL-92 3,700yen +tax [Completely Limited]
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MHCL-10119 3,000yen +tax
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
ALFA YEARS ALBUMS
REISSUE #4
2019-8-28 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
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BGM
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REISSUE #3
2019-05-29 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
BGM
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 x 12" Discs]
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TECHNODELIC
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
ALFA YEARS ALBUMS
REISSUE #3
2019-05-29 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
TECHNODELIC
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
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PUBLIC PRESSURE 公的抑圧
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REISSUE #2
2019-02-27 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
PUBLIC PRESSURE 公的抑圧
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
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増殖 X∞MULTIPLIES
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REISSUE #2
2019-02-27 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
増殖 X∞MULTIPLIES
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 x 12" Discs]
MHJL-64~65 9,000yen +tax [Completely Limited]
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Standard Vinyl Edition [33 1/3rpm (10" Disc)]
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
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REISSUE #1
2018-11-28 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
Lacquer Cut at Bernie Grundman Mastering
YELLOW MAGIC ORCHESTRA
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
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MHJL-53 3,700yen +tax [Completely Limited]
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SACD Hybrid
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA (US version)
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
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REISSUE #1
2018-11-28 OUT
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
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YELLOW MAGIC ORCHESTRA (US version)
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Standard Vinyl Edition [33 1/3rpm]
MHJL-56 3,700yen +tax [Completely Limited]
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MHCL-10108 3,000yen +tax
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3,200yen [tax in]
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SOLID STATE SURVIVOR
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REISSUE #1
Remastered by Bob Ludwig [Newly Remastered Since 1999]
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SOLID STATE SURVIVOR
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2020-9-23 OUT
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『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』41周年に寄せて
吉村栄一
Collector’s Vinyl Edition [45rpm / 2 Discs]
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2018-11-28 OUT
SOLD OUT
SACD Hybrid
MHCL-10109 3,000yen +tax
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2018-11-28 OUT
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『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』41周年に寄せて
吉村栄一
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は1979年9月25日に発売された、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のセカンド・アルバムだ。
1978年11月25日にアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』でデビューしたYMOは、やがて海外のポスト・パンクやニューウェイヴの音楽に強い影響を受けるようになっていた。同年暮れの鮎川誠(シーナ&ロケッツ)らとのライヴ・セッションを経て、1979年3月にレコーディングがスタートしたこの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』では、デビュー当初の匿名性を薄め、アルバム・ジャケットに自分たちの写真を使うなど、よりパーマネントなバンドになってきてもいた。
レコーディングに鮎川誠を招いてパンキッシュなギターを弾いてもらったビートルズのカヴァー「デイ・トリッパー」やアルバム・タイトル曲などロック・ナンバーがある一方、「テクノポリス」「ライディーン」というYMOブームの火付け役となるニューウェイヴ・ディスコ曲があり、さらには後にマイケル・ジャクソンがカヴァーする「ビハインド・ザ・マスク」、現代音楽的な「キャスタリア」、細野晴臣のエキゾティック趣味が色濃く滲む「アブソリュート・エゴ・ダンス」「インソムニア」があるなど、さまざまな要素を内包した多面的なアルバムとなった。
こうしたさまざまな要素を取り入れた新しいポップ・ミュージックを、この頃の細野晴臣は“メタ・ポップ”という造語で表現しており、このニュー・アルバムも当初は『メタマー』というタイトル案が候補のひとつになっていた。
結果的には、ファースト・アルバムに引き続き詩を担当している英国人のクリス・モズデルの書いた「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がそのままアルバム・タイトルになったが、この不思議なタイトルは日本のみならず英語圏の国でもその由来や意味に関して論議を呼んだ。実際のところは、YMO以前から日本人アーティストの詩の仕事をしていたクリス・モズデルは立ち合いでよく音楽スタジオに出入りしていたのだが、そのときミキシング・コンソールにSolid State Logicという会社名が入っていることが多く、それが頭の中に残っていたそうだ。クリス・モズデルによるとこの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の詩は用賀のハンバーガー・ショップにいるときに頭に浮かび、紙ナプキンに書きつけて急いで家に戻って高橋幸宏に電話をしたそうだ。
このアルバムのレコーディング開始時には、YMOは全世界でのレコード・デビューも決まり、レコーディングが終わった5月末には、もう8月のアメリカ・ロスアンジェルスでのコンサートも決まっていた。
結成当初からの世界デビューという目標がとんとん拍子で決まっていく、高揚した時期にこのアルバムは作られた。「テクノポリス」「アブソリュート・エゴ・ダンス」「ライディーン」のアルバムA面冒頭3曲の軽快なビートは、そんな彼らの高揚した気分を象徴しているかのようだ。
また、デビュー・アルバムではレコード会社におまかせ状態だったアルバムのアート・ワークを、このアルバムではメンバー自身が写真を鋤田正義にお願いしたいと申し入れた。広告の仕事の傍ら、T.REXのマーク・ボランやデヴィッド・ボウイの撮影でロック・フォトグラファーとしても世界的な高名を得ていた鋤田正義はYMOのメンバーとは旧知の仲。さっそくジャケット写真の構想を練った。8月のアメリカでのコンサート用に高橋幸宏がデザインした赤い人民服(正確には大正時代の日本のスキー服)のユニフォームを着て撮影することから、鋤田正義が連想したのは正体のわからないアジアの、しかも多国籍な雰囲気を持つバンドという絵を撮ることだった。
アジアといえば麻雀だろうと、鋤田正義の事務所にあった巨大なライト・テーブルを雀卓に見立て、メンバー3人が赤い人民服でそれを囲んで座る。麻雀は4人で行うゲームだからと、もうひとりのプレイヤーとしてマネキン人形にも赤い人民服を着せた。デパートなどによくあるマネキンで、顔立ちはどこか欧米人っぽい。横に座るシースルーの服を着た謎の美女もやはり欧州風のマネキン。卓の上にはアメリカの象徴であるコカコーラの瓶が置かれている。
鋤田正義は、この写真を使ったジャケットのアート・ディレクションに当時のサブカルチャーの先端を走っていたグラフィック・デザイナーの羽良多平吉を指名。この印象的なジャケットを纏った『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は、バンド名にちなんで初回分はイエローのカラー・レコードで発売された。
本作『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が発売された9月は、前月8月に行われたアメリカ・ロスアンジェルス・グリークシアター公演の直後。現地で大受けしたその公演には多くの日本のプレスが取材に訪れており、アルバムの発売前にはYMOがアメリカ人の観客を熱狂させたという報道記事が大量に出ていた。
また、当時アルファレコードのエクゼクティヴ・プロデューサーだった川添象郎は、公演の模様をビデオ収録していた。まだ家庭用ビデオ・デッキも普及していない頃だ。
このライヴ映像はテレビでプロモーションに使われるとともに、全国のレコード店の店頭で流されることになり(ビデオ・デッキもセットで貸し出したという)、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は発売直後から売れ行きが好評だった。
さらにはアルバム発売後の1979年10月からは、イギリス、フランス、アメリカの3か国を回るワールド・ツアーも敢行。8月のロスアンジェルス公演よりもさらに大々的な報道も行われて、YMOの知名度とアルバムのセールスも桁違いに高まっていくことになる。ここから空前のYMOブームに火が着いていったのだ。
海外においては、発売されたばかりのファースト・アルバムと間を空けるためなどの理由もあって、すぐには『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は発売されなかったが、ビル・ネルソン(ミュージシャン。YMO『浮気なぼくら』に参加)やデニス・ボヴェル(エンジニア。坂本龍一『B-2 UNIT』参加)の証言によると、ロンドンでは多くの音楽ファンがこのアルバムを輸入盤で購入しており、プロ用のレコーディング・スタジオに置いてあることも珍しくなかったという。1982年にようやくイギリスでも本作が発売されると音楽紙には「すばらしいアルバムなのに発売が遅すぎる」という評が掲載されたほどだ。
ともあれ、日本ではアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を着火点として1979年に始まったYMOブームは翌1980年には2度目のワールド・ツアーの実施もあって最高潮に達した。
「テクノポリス」「ライディーン」の2枚のシングルも大ヒットして、本アルバムはYMOの代表作となる。日本国内においては『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は1980年末までに売り上げ100万枚を超えるモンスター・アルバムとなり、同年のレコード大賞アルバム賞も受賞した。まだまだ歌謡曲が中心だった日本の音楽界を、この1枚のアルバムが撹乱した。大ヒットすることで、多くの10代にまだ聞いたことのないような音楽を届けて衝撃と希望も与えた。このアルバムでYMOを知って影響を受け、後にプロのミュージシャンとなった10代も多い。日本のポップス史で新しい扉を開いた作品でもあるのだ。
そう、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は1979年から1980年にかけてのYMOの社会的な大ブームの起爆剤となった作品であると同時に、いまに至るも彼らの代表作であり、日本の音楽の歴史にこれからも残っていくアルバムであることはまちがいない。
『ノイエ・タンツ』発売記念スペシャル対談
テイ・トウワ × 五木田智央(前編・後編)
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前編
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後編
今回の企画の首謀者であるテイ・トウワと、アートワークを担当した画家・五木田智央による『ノイエ・タンツ』のライナー・ノーツ的対談。
「YMOのレコードありますか」
ニューヨークのレコ屋がキッカケです。
テイ そもそもの話をすると。僕は、5年くらい前から五木田君のおっかけをやろうと決めてそれをずっと実践しているんです。国内はもちろん、海外もおっかける。ロスで個展をやると聞けばロスへ行き、ニューヨークでやると聞けばニューヨークへ行き。軽井沢からはるばる行くわけです。
五木田 うれしいっす。ありがとうございます、いつも。
テイ もちろん、五木田君の作品が目的なんだけど、行った先々で一緒にレコード屋めぐりするのも楽しみで。
五木田 こないだもロスでめぐりましたもんね。
テイ そう。で、去年の秋、五木田君が久々に〈メアリー・ブーン・ギャラリー〉で個展をやるというので、ニューヨークへ行って。そのときに、五木田君おすすめのレコ屋へ行ったら、細野(晴臣)さんの曲がかかってた。外人さんの選曲による日本人コンピなんだけどこの曲なんだろう? と思っちゃった。知ってるはずなのに、違う並び、違うマスタリングで聴くと知らない曲に聴こえるじゃない。ああ、新鮮だなあと。それで、店員と細野さんの話をしていたら、YMOの話になって。「毎日、『YMOのレコードありますか?』って若い人が店にやってくるんですよ」と。
五木田 僕もレコ屋で聞かれたことがあります。「オマエ日本人か? イエロー・マジック・オーケストラのレコードは東京でも高いのか?」って。
テイ ニューヨークでね。
五木田 ニューヨークで、ですよ。
テイ そこでひらめいた。これだと。これが僕にできるYMO40周年企画だと。YMOを探しにくる若者たちのために、「YMOのレコードありますか?」「ハイ」と店員がすぐに出せるものをつくるべきだと。しかも、ベスト盤じゃなく、マスタリングも新たにやって、新しいアートワークで、「YMOを聴くならこれ。しかも新譜だから」といえるもの、中古レコード屋じゃなく、普通のレコード屋さんの棚にも入るレコードをつくりたいと。僕、この業界に30年ぐらいいるんですけど、自分からこういった企画を発信したことって実は全然なくて。受け身のマグロ体質なんで(笑)、今回の企画が唯一なのよ。僕が選曲して、五木田君がジャケットのアートワークを担当して、そうなると、マスタリングはカルトキング(砂原良徳=まりん)しかいないなあとか考えて(笑)。それで言ったの、細野さん、教授(坂本龍一)、(高橋)幸宏さんに。まずはプレゼンだと。断られたらはずかしいけど、勇気を出して聞こうと。3人が首をタテにふらなきゃダメじゃない。そうしたら、すぐにOKをくれて。そこから始まったんです。
「中国人のレコードください」
YMOとの出会いが音楽との出会いです。
テイ 五木田君がYMOと出会ったのは?
五木田 10歳でした。小4、小5のときですね。僕には、テイさんと同い年の兄がいるんですけど、兄貴が『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(79年)を買ってきたんです。僕はそれを聴いて、「わ、なんかゲームの音がするぞ!」って。そこからですよね。ガキだったんで、音楽的なすごさとか、3人のバックグラウンドがどうだとか、そういうことは一切何もわからないまま、コンピューターみたいな音で面白いなあと。
テイ 僕はあの頃、中2、中3で。町田のレコード屋さんで出会ったんですよ。模擬試験の帰りかなにかで、レコード屋さんの店頭で、赤い人民服の3人がタンス(ムーグのシンセサイザー)をバックに演奏する……
五木田 映像が流れてたんですよね。兄貴も言ってました。レコード屋に行ったら、ワールドツアーの映像が流れてたと。
テイ そう。当時、プロモーションで映像を流してたの、いろんなレコード屋で。海外で評判になったこういう人たちがいるよと。とにかく、ビジュアルのインパクトがすごくて、しばらく見とれて、チッチキチッチキ♪っていう「ライディーン」のリズムとメロディを覚えて、一旦家に帰って。それまで音楽に一切興味がなかったし、レコ屋にも入ったことがなかったけど、やっぱり気になるんで、こづかい持ってレコ屋に走って行って、「赤い中国人のレコードください」(笑)。
五木田 中国人だなと思いますよね(笑)。
テイ 「中国人のレコードはたぶんこれ」ってレコード屋さんが出してきたのが、五木田君のお兄さんも買った『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。それを僕も買って、家に帰って、モジュラーステレオに乗せて両面聴いて。で、「ご飯よ〜」って言われてメシ食って。食いながら、「でもあれ、なんか早いなあ」とふと思って、食い終わって部屋にもどってみてみたら、ステレオが45回転だったという(笑)。
五木田 ガハハハハ(笑)。
テイ だって、それまで「贈る言葉」と「君の瞳は10000ボルト」しかタンテに乗ったことがなかったんだもん(笑)。
五木田 ドーナツ盤の歌謡曲(笑)。ホントに音楽に興味なかったんですね。
テイ なかった。だから、それからですよ。それで、ファースト(『イエロー・マジック・オーケストラ』78年)があるのを知ってすぐ買って。そっちはまさにインベーダー音が入ってたんで、「これを聴いてれば、ゲーセンで金を使わなくて済むわ」と。
五木田 ガハハハハ(笑)。
テイ 僕、ゲームをやるのが好きだったんじゃなくて、インベーダーの「ピシュンッピシュンッ」って音を聞きたくてゲーセンに通ってたんだなと気づいた。これを家で聴いてればいいじゃん、聴きながら勉強もできるし、一石二鳥じゃんと(笑)。だから、YMOとの出会いが音楽との出会いだったと言っていいくらいです、僕は。
YMOをキッカケに
多重録音にハマったんです。
テイ YMOを好きになると、「ライディーン」弾いたり「東風」弾いたり、そういったカバーに行く人が多いんだけど、僕は「シンセで音を作りたい」という方向へ行ったんです。高校に入るとすぐにコルグのシンセを買って。どちらかというと、いきなりヤン富田さんの世界に行っちゃったというか(笑)。風呂場でひとりピュンピュンいわせてピンポン録音して、「YMOが出してる“ピシュンッ”という音はどうすれば再現できるのか」とか、そういうことに熱心になったんで。
五木田 ちょうどそのとき、うちの兄貴もコルグのシンセを買って、TMRっていうソニーの多重録音機で宅録してました。
テイ 同じだ、五木田兄と。
五木田 テイさんは、それが高じて、教授の『サウンドストリート』(1981年〜86年までNHK FMで放送されていたラジオ番組)の「デモテープ特集」の常連になっていくんですもんね。僕、当時、ラジオで聴いてましたもん。「テイ・トウワって人、すげえなあ」って。
テイ 美大目指して浪人してたんで、ヒマだったんですよ(笑)。
五木田 ちなみに兄貴はその後、YMOのサポートプレイヤーだった渡辺香津美さんにハマって、超絶技巧系に目覚め、〈新宿ピット・イン〉に通いつめるようになりましたけど(笑)。
テイ いる。YMOを起点にそっちへ流れた人もたくさんいる。
五木田 で、僕は、中学1年の頃に、ローランドの小っちゃいリズムマシンを買って。兄貴に教えてもらいながら打ち込みをするようになって。僕、中学生のときから8ミリ映画を撮ってたんです。フィルムで。僕が監督をやって、友だちに演技をさせて、音楽を流しながらマイク一本で録音するっていう。だから、それ用のサウンドトラックを作ったりしてたんです。
テイ 五木田君はいまだに多重録音やってるもんね(笑)。
五木田 やってます、カセットで。どこにも発表してないんですけど(笑)、友だちとOLっていうノイズ系のバンドもやってるんです。
テイ まりんが勝手にマスタリングしたけどね(笑)。
五木田 僕だけが楽しんでたものだったけど、それをテイさんに渡したら、恐れ多くも砂原さんがマスタリングしてくれたという(笑)。
テイ だから、いつでも出せる状態ですよ。小山田(圭吾)君も「最高!」って言ってたもん。あ、そうだ、細野さんにも渡したよ。そしたら、細野さんがラジオでかけた(笑)。
五木田 そうだ! オレの曲、ラジオで流れたんですよ!!!! すんごい焦った(笑)。でも、「面白い!」って褒めてくださってめちゃくちゃうれしい。結局僕は、音楽もずっとやり続けているわけですから、最初に出会ったYMOのせいで、いまだに。
反抗期を経て
YMOの偉大さに気づきました。
テイ これは五木田君とも共通してるんだけど、途中でYMOから離れてる時期があるんだよね。
五木田 反抗期がありました。10代後半〜20代前半の頃ですかね。「YMOなんてダサいでしょう!」っていう(笑)。とはいえ、チェックは必ずしてるんです。3人それぞれの新譜が出れば必ず買って。ちゃんと聴いてるんだけど、あんまり人には言わずコソコソと(笑)。
テイ YMOおじさんあるある(笑)。
五木田 あはははは(笑)。
テイ 僕の反抗期はニューヨークへ行ってた頃かな。「黒人OR DIE」の時代だったから(笑)。
五木田 ニューヨークじゃ仕方ないですよ。テイさん、ジャングル・ブラザーズとかア・トライブ・コールド・クエストとかとマブダチで、ディー・ライト時代にはブーツィーと一緒にバンドやってるんですもん! 信じられないですよ! ブーツィー・コリンズですよ!
テイ もうね、あの頃は暗黒時代。パツパツでやってたから、写真1枚も撮ってないんだよね。いまブーツィーと一緒だったら写真撮りまくったと思うんだけど(笑)。
五木田 さっきの、YMOを起点にどこへいったかということでいえば、僕は、どんどんアバンギャルドな方向へ転んでいったんです。ディス・ヒートをキッカケにノイズミュージックにいっちゃって。でも、結局YMOにつながるんです。ミニマルもプリペアド・ピアノもジョン・ケージも。あ、こういうのって『テクノデリック』(81年)に入ってたじゃん! オレ、聴いてたじゃん! っていう。結局、つながっちゃう。
テイ めぐりめぐれば、ノイズも音響もミニマルも。究極にいえば、YMOってファンクだと思うんです。ファンクバンドとしての一面もあるし、そもそも「ファンク」って「引っかかる」ということだから。そういう意味では、YMOはひっかかりまくりというか。
五木田 しかも、この人たちは、演奏できちゃいますからね、ファンクを。
テイ できちゃう。でも、そうじゃないオリジナリティで、「僕たちはイエローだ」と。そこが「イエローマジック」なわけですよ。
クシャクシャになったチラシを
コンビニで拡大コピーしてみました。
五木田 だから、テイさんから今回の話をいただいたとき、ついにYMOの仕事がやってきたなと。うれしくて、兄貴にも自慢しちゃいました(笑)。
テイ 『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』をコラージュにしようと思ったのは最初から?
五木田 テイさんもそうだけど、僕も最初の出会いがこのアルバムだったし、ビジュアル的にも強力じゃないですか。これを絵にしたらどうなるのかなと。最初はもちろん、ペインティング、筆で描こうといろいろチャレンジしてみたんです。でも、どう描いても面白くならない。鋤田正義さんの写真が強すぎるんです。
テイ そうなんだよね。
五木田 じゃあ、もっと正確に描いてみようと。ちょうど、どこかでもらってきた、鋤田さんのドキュメンタリー映画(『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』2018年)のチラシが手元にあって、『ソリッド』のオリジナル写真がチラシに使われていたんで、ちょうどいいやと。これをコンビニのコピー機で拡大コピーして、それをきちんとトレースして描いてみるかと。そうしたら、倍率を間違えちゃって、ものすごくデカくなっちゃった(笑)。でもそうすると、網点の具合が非常にいい。僕は網点フェチで、グラフィックデザイナー時代は網点をよく使ってて。あれ、ちょっとまてよ、これを全部デカくして切り貼りしたらいいかもと。しかも、コピーしたチラシがポケットに入ってクシャクシャになったものだったんで、折り目や傷がついたままなのも妙に味わいがある。もしかしてカッコいいんじゃないかなあと。原画はすごく大きいものになったんですけど、それをテイさんに見せたら喜んでくれて。
テイ クシャクシャがヤバい。最高。しかもこの写真、ジャケットとは違うテイクなんだよね。
五木田 僕は全然気づかなかった。テイさんに指摘されて、あ、そうか!と。
テイ 教授の手の位置が違うの。ほぼ、あの前後のショットなんだよね。
…後編に続く
前編からの続き…
選曲については
石野卓球のアドバイスもありました。
テイ 選曲は結構悩みましたね。早い段階で、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』からは1曲も入れないと決めて。僕も五木田君も『ソリッド』がYMOに衝撃を受けたのなんだのとさんざん言っといてナンなんだけど(笑)。
五木田 いままでベスト盤っていっぱい出てるじゃないですか。それも含め、僕は全部持ってるんですけど、だいたい『ソリッド』から入ってるものが多かったりするし。
テイ だから、ニューアルバムのフリをするというのが最初のコンセプトだったので、決してベストアルバムではないというところでの選曲というのもあったし。
五木田 とはいえ、よくこの選曲で通りましたよね。YMOだけじゃなく、それぞれのソロが入ってるのが挑戦的というか。
テイ 選曲で唯一アドバイスをもらったのは、五木田君と石野卓球。スペシャルサンクスに書かないほうがかっこいいなと思って書かなかったけど、この場を借りてお礼をいいます。
五木田 いい話ですよね、卓球さんとのやりとりは(笑)。
テイ 卓球がどっかから噂を聞きつけて、「テイさん、YMOのベスト出すんでしょ?」って。真っ先に言ってきたのが、「『カモフラージュ』は入るんでしょ?」。「カモフラージュ」は『BGM』(81年)の中でも際だっておしゃれだし、僕も卓球も好きな曲だから、「うん、入る入る」と。「じゃあ、『ファイアークラッカー』は?」「うーん、迷ってんだよねぇ」
五木田 「入らなかったら黒人が暴動起こすよ!」と卓球さんが言ったんですよね(笑)。
テイ 「絶対入れなきゃダメだ!」って。そこはすごく悩んだ。だって、「ファイアークラッカー」(『イエロー・マジック・オーケストラ』)はカバーだもん。
五木田 元はマーティン・デニーですからね。
テイ でも、「ファイアークラッカー」のカバーをするために、細野さんはYMOを始めたわけだし、初期衝動としては入れるべきだなと。暴動を起こされてもイヤだなあと思ったし(笑)。
五木田 『ソウル・トレイン』でもやってますから、「ファイアークラッカー」は(笑)。
テイ そういえば、ニューヨークに初めて行ったとき、アフリカ・バンバータが「ファイアークラッカー」を2枚使いでDJしててさ。それ見て、「マイ・マスター! マイ・マスター!」ってバンバータに言ったんだけど、「え、ちょっと何言ってるかわかんないです」みたいな顔されたんだよね(笑)。
五木田 あはははは(笑)。
テイ で、続けて卓球が「『ビハインド・ザ・マスク』は?」って聞くから、「あれは名曲すぎるから」と。「じゃあ、『アブソリュート・エゴ・ダンス』は?」ってどんどん言ってくるから、「だから、『ソリッド』は1曲も入れないって言ってるじゃん!」って(笑)。
五木田 オマエしつこいぞと(笑)。
テイ でもできあがった音を聴いた卓球が、「超ヘビロテ中!」と言ってくれて。結果、気に入ってくれてよかったなと。
五木田 僕が言ったのは、ひとつだけでした。「ノイエ・タンツ」(『テクノデリック』81年)は入れてほしい、と。
テイ そう。僕も入れるつもりだった、あの曲は。
五木田 ノイズっぽくて好きなんです。実験的で。
テイ ガムランとかケチャも入ってるもんね。
五木田 プリペアド・ピアノも入ってるし。
テイ それでいてファンクでもある。
五木田 あと、僕的には、1曲目が「開け心-磁性紀-」(80年)なのが最高です。
テイ これをいちばん最初にというのは企画を考えたときから決めてた。一昨年だったかな、たまに古本探しで神保町へ行くんだけど、とある店に入ったら、それまで歌謡曲がかかってたのに急にYMOの「磁性紀」がかかったの。で、その後に「バレエ」がかかって。
五木田 神保町で?
テイ 店員が、METAFIVEのヤツが来たぞと思ったからなのか、たまたまだったのか。それで、「YMO関係のものってなんかありますか?」って聞いたら、来たぞと思ったのか、おもむろに雑誌を出してきて(笑)。ま、そういうことがあったんで、コンピをつくる企画を自分から言ってみようと思ったときに、1曲目は「磁性紀」だなと。
五木田 この曲、カセットブック(80年、フジカセットCMのキャンペーン用に制作されたカセットブック『テクノポリス』)に入ってたんですよね、最初は。うちの兄貴が持ってた。
テイ 本がくり抜かれてカセットが埋め込まれてるやつだよね。
五木田 凝った本なんです。それに3人が語るレコーディング秘話が入ってたり。
テイ 「ビハインド・ザ・マスク」のプロトタイプも入ってた。教授がひとりでつくったらしき音源。だから、僕は、「YMOおじさん」と呼ばれる人ほどマニアではないんだけど、そういう人にも喜んでもらえる1曲目かなとは思ってて。なぜ「東風」と「ライディーン」が入ってないんだ! って文句もあるだろうけどね(笑)。大丈夫、「2」には入れますから。「2」があるのかどうかは知らないけど(笑)。でも、YMOのレコードを探してる若者に、「とりあえずこれ聴きなよ、YMOの新譜だから」っていえるものは作れたと思うんです。ソロが入ってるっていうのも初めての試みだしね。
YMOとそれぞれのソロと。
幸宏さんの81年はミラクルです。
五木田 ソロといえば、教授の「ライオット・イン・ラゴス」(『B-2 ユニット』80年)はよく入りましたよね。
テイ ダメ元で言ってみたら、OKが出た。
五木田 昔、教授は、「この曲は僕のものだから」ってよく言ってた、いろんなインタビューで。YMOでも演奏したけれど「この曲だけは」って。
テイ 細野さんが絶賛した曲なんだよね。
五木田 「坂本君、こういう曲をYMOでももっとやってほしかった」みたいな(笑)。細野さんに褒められてうれしかった、という教授のコメントも何かで読んだ記憶がありますけど。
テイ でも、そんなことを言ったなんて2人とも忘れてるから(笑)。
五木田 幸宏さんの「ガラス」は『ニウロマンティック』(81年)からのソロですよね。
テイ 幸宏さんの81年はミラクルなんです。YMOで『BGM』、『テクノデリック』を出した上での『ニウロマンティック』。『BGM』と同時期に作られた香りがすごくするから、この時期の幸宏さんのソロが入るのはいいなあと。
五木田 JAPANの『錻力の太鼓』(81年)とか、あのヘンともリンクしますよね。あの時代、80年、81年、82年近辺のいわゆるニューウェイヴのドラムの音色だったり、オリエンタルな要素だったり。
テイ 細野さんのソロは『フィルハーモニー』(82年)から「スポーツマン」を入れていて。細野さんは、YMOのときは、ソロを全然作ってなくて、「自分がソロをやるのは、YMOが終わったとき」って、インタビューでもずっとそう答えてた。『フィルハーモニー』は『浮気なぼくら』(83年)の前に出たけど、その時点でYMOは終わってたわけですよ、事実上は。あと、「ザ・マッドメン」(『サーヴィス』83年)は、細野さんが自由につくった曲というところで入れました。細野さんが歌ってベースも弾いてる曲ですからね。
五木田 「ザ・マッドメン」はアフリカンビートですよね。僕も大好きな曲。
テイ 正直、『浮気なぼくら』以降、YMOに対する熱は3人ともなかったけれど、細野さんの「ザ・マッドメン」は、散開後のアルバム『S-F-X』(84年)につながっていて。細野さん、最近のライブでやってたりするんですよ、「ストレンジ・ラブ」(『S-F-X』)をカントリー調で、とか。これがまたすごく良くて。「灰色の段階」(『テクノデリック』)もカントリー調でやってるから、入れようかどうしようか、最後まで悩んだんだけど……。いい曲が多いんでそういうことを言い出すとキリがないよね。
ツイステッドな3人が出会ったのは
『はらいそ』のレコーディング現場。
テイ あと、これは入れようと最初から決めていたのは「ジャム」(『テクノデリック』)。僕だけじゃなく、たぶん、本人たちも気に入ってる曲なんです。
五木田 あの曲は最高です。詞もいいし。あの詞には僕、相当影響を受けました。こんな歌詞、見たことがないし、聴いたことがないぞ、と子どもながらに。
テイ あれ、当時YMOが使ってたレコーディングスタジオで食べたジャムパンのことなんだよね。
五木田 そう。スタジオの下にあった喫茶店のジャムパンの話。
テイ クソ不味いジャムパンの話(笑)。
五木田 僕、それを知らなかったんで、幸宏さんに初めてお会いしたときに聞いたんです。「ジャム」の詞はすごいですよね、どうやって書いたんですか? って。そうしたら、それはイギリス人もよく思うらしく、「どうやってあんな哲学的な詞を思いついたんだ?」といつも聞かれると。でも、「出前たのんだら、超不味いジャムパンだった、それだけの話なんだよね」って(笑)。
テイ そういう、ツイステッドな感覚っていうのは、3人の共通点であり、3人そろうとアートっぽくなる。クラフトワークじゃないけれど。クラフトワークは、ラルフ(・ヒュッター)&フローリアン(・シュナイダー)だけだと、ギルバート&ジョージみたいになるから、4人にしたっていう話を聞いたことがあるんだけど(笑)。でもYMOはミラクルな3人が集まったなと思いますよ、ホントに。彼らが初めて集まったのって、細野さんの『はらいそ』(78年)だったんだよね。あの曲のレコーディングのとき。ほら、B面の1曲目、「ここは地の涯て〜♪」って曲あるじゃない。
五木田 「ファム・ファタール〜妖婦」! あの曲はめちゃくちゃいい! 大好き!
テイ 当時のマネージャーさんから聞いたんだけど、あの頃、みんな忙しいから、「今日、録音に来られる人」でたまたま集まったのが、幸宏さんと教授だったと。幸宏さんじゃなかったら林立夫さんだし、教授じゃなかったら佐藤博さんだし。
五木田 あの曲だけ、たまたま3人が集まってるんですよね。
テイ そう。しかも、3人とも身長がほぼ一緒だし、それぞれ違う方向にイケメンだし。細野さんの「イエロー・マジック・オーケストラ」構想はこの3人でやるのが絶対にいいと、マネージャーが説得したらしい。
五木田 細野さん自身は全然違うメンバーを考えてたんですよね。横尾忠則さんを入れて、顔の見えないバンドとしてやろうとか。でも、最初に「ファイアークラッカー」をやることだけは決めていた、というのが面白くないですか? あの時代にマーティン・デニーに注目するって。そんな人いないですよ、ヤン富田さん以外には(笑)。
教授の「千のナイフ」セルフカバーは
神懸かっています。
五木田 で、「ジャム」の後、「シムーン」(『イエロー・マジック・オーケストラ』)、「CUE」(『BGM』、「ファイアークラッカー」と続くわけですけど、この流れは最高ですよね。
テイ 「シムーン」はね、僕、カバーしようとしたことがあるんですよ、実は。で、途中まで打ち込んでみたんだけど、ああ、これはなんにも越えられないなと思ってやめたんです。ただのカバーになっちゃうなと。さっきの五木田君のジャケの話じゃないけれど。
五木田 「CUE」はすんなり選んだ感じですか?
テイ これは悩んだ。METAFIVEでもずっとやってる曲だし、入れなくてもいいかなと思ってたけんだけど、これがオリジナルだよという意味で入れておいたほうがいいなと。最後まで悩んだ。
五木田 僕が思うに、「CUE」は細野さんと幸宏さんの2人だけで作ったじゃないですか。教授は、それに嫉妬したんじゃないですかね。あまりにもいい曲ができたのが悔しくて、それで「千のナイフ」(オリジナルは自身のデビューアルバム『千のナイフ』78年)を『BGM』にブチ込んじゃないかと(笑)。
テイ オレは「千のナイフ」作り直したる!って(笑)。それはどうだったかはわからないけど、でも、めちゃくちゃカッコいいんだよね、『BGM』の「千のナイフ」は。
五木田 シンセのソロがものすごくカッコいい。
テイ リングモジュレーションのギターみたいなシンセね。
五木田 僕の個展がニューヨークであったとき、テイさんと僕とコンピューマの3人でDJパーティをやったんだけど、そのとき、僕もテイさんもYMOをけっこうかけて。テイさんは「千のナイフ」を爆音でかけてましたよね。
テイ アナログをかけるときっていつもEQ(イコライザー)を気にするんだけど、今回のアルバムはそういうところは補正してあるんで、堂々とかけられるようになったのがいいところ。カルトキングのおかげですね(笑)。
五木田 あと、今回の選曲でいえば、「マルティプライズ」(『増殖』80年)が後半にポンと入るのはテイさんぽいなと思いました。ヒネリがあるというか。直球じゃないよっていう。
テイ 僕、DJをやるときに、「かけ逃げ」ってのをよくやるんです。「テイさん、あと1曲お願いします!」とか言われたときに。そういうときは、だいたいスペシャルズか、マッドネスの「ワン・ステップ・ビヨンド」か、「ハイスクールララバイ」をかけて「じゃあね〜」と(笑)。「マルティプライズ」はそういうときの飛び道具でもあるんですよ。
五木田 いいっすねえ(笑)。
テイ あと、外すという意味では、「体操」(『テクノデリック』)も入れてるけど、これは、ファンクでミニマルな曲ですからね。現代音楽的なプリペアドも入ってるし。でも、これは入れるんだけど「東風」は入らないよという(笑)。
五木田 そこはね(笑)。
テイ 最後は「ナイス・エイジ」(『増殖』)を入れたんだけど、当時すごいなあと思ったのは、サビをサンディさんが歌ってたことなんですよ。「あれ、このバンド、女の人はいないのにな?」っていう。
五木田 僕もそれ思いました、小学生のときに(笑)。子どもって素直だから、アレ? って不思議に思っちゃうんですよね。
テイ そうなの。いまはそういうのも違和感なく受け入れられているけれど、当時はちょっとビックリすることで。ああ、そういうこともあるのか、と。実は、それがいまの自分にもつながってる。自分のソロ、女の子のボーカルでもいいんだなって(笑)。「Technova」とか「Luv Connection」とか、女の子に歌ってもらってるのはそういうこと。
五木田 うわ、「体操」がそこにつながった!(笑)
テイ 「テイ・トウワって女じゃないんだ!」って言う人、たまにいるもん(笑)。まあ、ディー・ライトでたまたま女の子と出会えたから、というのもあるけれど、女の子ボーカルが多いのはそういうことですよ。最初に見たものを親と思う、みたいな部分かもね(笑)。
「YMOのこの1曲」をあげるとすれば?
初心者にすすめるアルバムは何ですか?
テイ 1曲あげるとすれば、やっぱりいちばん最初に聴いた曲ということで「ライディーン」かなあ。入ってないけど(笑)。だから、今回の『ノイエ・タンツ』といっしょに『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』も買ってくださいということですかね。
五木田 僕は、「コズミック・サーフィン」。フュージョンぽい細野さんのベースがカッコいい。『パブリック・プレッシャー』(80年)に入ってるライブバージョンも好きですけど、でも、ファーストに入ってる単純なバージョンも好きだなあ。
テイ 「コズミック・サーフィン」が細野さんで、「ライディーン」が幸宏さんで、「東風」が教授。3曲あげるとすれば、それかな。
五木田 究極の3曲っすね。
テイ 3人の最初のモチベーションだからね。どれも『ノイエ・タンツ』には入ってないですけど(笑)。だから、初心者には初期のアルバムを聴くことをおすすめするんだけど、でも、後期にもいい曲はいっぱいあって。教授でいえば、「ONGAKU」とか「パースペクティヴ」とか。
五木田 僕もすごく好きっすね、その2曲は。ちなみに、「ONGAKU」の歌詞は現代音楽がモチーフなんですよ。「地図帳拡げてオンガク♪」「電車ゴトゴトオンガク♪」「ピアノに登ってオンガク♪」というのは全部、現代音楽の方法論を言っていて。おもしろいんです、あの曲は。
テイ 結構、五木田君はYMOおじさんの域だなあ。僕より全然詳しいよ(笑)。
では、最後に。
おふたりにとっての「YMOとは?」
五木田 魂の故郷。だって、小学生ですから、出会ったのが。僕にとっては、アントニオ猪木とYMOが魂の故郷なんです、結局。
テイ ピラミッドですね。行ったことないけど(笑)。神秘のパワー、「サン」ですね。
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構成・文 辛島いづみ
TOWA TEI www.towatei.com
TOMOO GOKITA Short BIO
1969年東京生まれ。90年代後半に鉛筆、木炭やインクで紙に描いたドローイング作品で注目を集め、2000年に作品集「ランジェリー・レスリング」を出版。ニューヨークでの展覧会を皮切りに、これまで国内外で多数の個展を開催。近年は白と黒の色彩で描く人物画など、具体的なモチーフを見せつつも抽象的なペインティング作品を手がけている。2012年にDIC川村記念美術館の「抽象と形態:何処までも顕れないもの」展に参加し、2014年同館にて個展「THE GREAT CIRCUS」、2018年4月には東京オペラシティ アートギャラリーにて個展「PEEKABOO」を開催。『シャッフル鉄道唱歌』天然文庫刊(2010年)、『777』888ブックス刊(2015年)、『Holy Cow』タカ・イシイギャラリー(2017年)、『PEEKABOO』公益財団法人 東京オペラシティ文化財団(2018年)などの作品集、展覧会カタログを出版。2008、2012、2017年にタカ・イシイギャラリーにて個展を開催。現在東京を拠点に活動。
Born in 1969 in Tokyo. In the late 1990s, Gokita received acclaim for drawings made with charcoal and ink on paper. His first book Lingerie Wrestling was published in 2000. Starting with a show in New York in 2006, Gokita has exhibited his works in solo exhibitions internationally. In recent years, he has produced abstract paintings alongside figurative works made in black and white. In 2012, his work was included in “The Unseen Relationship: Form and Abstraction” held at Kawamura Memorial DIC Museum of Art. In 2014, his solo exhibition “THE GREAT CIRCUS” was held at the same. In April 2018, his solo exhibition “PEEKABOO” was held at Tokyo Opera City Art Gallery. His books and exhibition catalogues include Shuffle Tetsudō Shōka [shuffle railroad songs] (Tokyo: Tennen Bunko, 2010); 777 (Tokyo: 888 Books, 2015); Holy Cow (Tokyo: Taka Ishii Gallery, 2017); and PEEKABOO (Tokyo: Tokyo Opera City Cultural Foundation, 2018). He is currently based in Tokyo and has had solo exhibitions at Taka Ishii Gallery in 2008, 2012, and 2017.
YMO40スペシャル・トークショー&公式試聴会
テイ・トウワ × 砂原良徳
2018.12.10.@ TOWER RECORDS SHIBUYA B1F CUTUP STUDIO
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AUDIO + PHOTO
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EVENT REPORT
YMO40周年を記念して11月28日にリマスター発売された『イエロー・マジック・オーケストラ』『イエロー・マジック・オーケストラ<US版>』『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。発売を記念したイベントYMO40スペシャル・トークショー&公式試聴会が12月10日(月)にタワーレコード渋谷店B1F CUTUP STUDIOで開催された。出演したのは10月にリリースされた全曲リマスターの最新コンピレーションCD『NEUE TANZ』の監修と選曲を担当したテイ・トウワとマスタリングを担当した“まりん”こと砂原良徳。YMOによって人生を変えられたふたりが、『NEUE TANZ』の裏話や音質へのあくなきこだわりを、満員になったYMOフリークたちを前に笑いを交えて語ってくれた。聞き役はotonanoネットラジオ・プログラム『伊藤銀次のPOP FILE RETURNS』でもおなじみのRIO。その濃いトークイベントを書き起こして、お送りする。
RIO YMOとの出会いからお話しいただけますでしょうか。
テイ・トウワ ぼくは『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされた直後くらいかな。レコード店の店頭でYMOの映像が流れていた記憶があるんですよね。3人が人民服を着て、後ろにタンスがあって、「RYDEEN」がバックで流れていた映像がすごく印象的で。翌日学校に行っても、ずっとその映像ばかりを思い出していて、放課後になるとすぐにお店に行って、「中国の服の人のレコードありますか?」って聞いたんですよね。そうして買ってきて、ぼくがクラスのみんなに布教したおかけで、このアルバムは100万枚を突破したんだと思っています(笑)。
砂原良徳 ぼくもほぼ同時期ですね。子ども向けのロボット博のようなイベントがあって、そのロボットのバックに「中国女」が流れていて衝撃を受けたのがYMOの初体験でした。ロボットがいいのか、音楽がいいのか、最初は何に対して興奮しているのかわからなかったくらいで、後でまた「中国女」を聴く機会があって、のめりこんでいったんです。
RIO 今回の『NEUE TANZ』ですが、テイさんが監修と選曲、砂原さんが全曲のリマスタリングを手がけています。そもそも制作のきっかけは何だったのでしょうか?
テイ・トウワ まず、2018年に細野(晴臣)さん主催の新年会にご招待された時は「(40周年だけど)なにもないよ」と言われたのです。その時は何もしないのだ、っていう感じだったのですけど、その年にニューヨークに行って中古レコード店に行った時にYMOのレコードありますか? とたずねてくる若者が毎日やってくるとお店の人から聞いて。中古レコードが売れても本人たちに一銭も入ってこないし(笑)、若い人たちに先入観なく聴いてもらえる今の音楽のふりをしたYMOの作品が作れないかなとぼんやりと思ったのです。
(高橋)幸宏さんとは一緒にバンドもやっていますので、幸宏さんにニュー・アルバムのふりをしたような、決してベスト・アルバムではないコンピレーションを出したいとお願いしたのです。幸宏さんからはやってくれたらうれしいし、ほかのふたりもテイくんだったらダメって言わないと思うよとおっしゃってくれて。そんなふうに探りを入れつつ、ソニー・ミュージックダイレクトに話を持っていったのです。マスタリングはまりん(砂原良徳)、アートワークは五木田(智央)くんという、実質的に3人で作るということは最初から念頭にあって、音源の聴き比べとかをしてもらって、もっと違うものにできるでしょ? と聞いたら「いいとも!」という返事があった。
砂原良徳 いや、最初はちょっと自信がないって、言ったんですよ(笑)。
テイ・トウワ そうだっけ(笑)。
砂原良徳 いや、だってYMOのファンって、ここに来てくれている方も含めてマニアックで、厳しいじゃないですか。色々と言われたりするんで、最初はちょっと躊躇しました。でも、まあ音源をいじってみたらいい感じになったので、やりますと返答しました。
テイ・トウワ 素材の段階でよくあるのはマスター音源と言いながらも、当時のマスターがなくてCD用にマスタリングした音源しかないということ。でも、今回は当時のオリジナル・アルバムのトラックダウンマスター音源があったので、それをぼくとまりんが聴いていった。例えば「SIMOON」とか「FIRECRACKER」はUS版も含めて2種類あるので、それぞれ音源をもらったりとかして。五木田くんはぼくよりもYMOに詳しかったりするので、彼にも聴いてもらった。彼は最初の方(78年版)がなんとなく良くなる気がしますと言っていたんですが、まりんも選んだのが最初の方だったんですよね。
砂原良徳 五木田さんは最初のリスナーとしてリトマス試験紙のような存在で、五木田さんはどう思うだろうという場面がけっこうあった。
テイ・トウワ そういう意味でも3人で作ったというのが正しいよね。作ったと言っても、人のアルバムですけど(笑)。でも、途中から石野卓球という人が乱入してきて、ショートメールで「<BEHIND THE MASK>は入るでしょ」とかいきなり送ってきたり、「<FIRECRACKER>を入れるのを悩んでいる」と返信したら「入れないと刺されるよ」とか脅してきたり。
RIO やはり苦労したのは選曲ですか?
テイ・トウワ そうですね。まずアナログ盤を先に考えて3枚組でいければということを思っていたんですが、途中で2枚組になり、アナログ盤に収録されずにCDに収録された4曲はボーナス・トラック的な考えで選曲していきました。
RIO アナログ盤のこだわりが伝わってきますが、やはりバーニー・グランドマンのマスタリング、カッティングというのはすごいんでしょうか?
砂原良徳 バーニー・グランドマンのマスタリングって、相当なものですよ。ぼくがマスタリングに興味を持ったのも、彼が手がけたジャネット・ジャクソンの『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』を聴いたからで。なんじゃ、こりゃと思ってクレジットを確かめたら、バーニー・グランドマンだった。じゃあ、次はバーニーに頼もうと思って、実際にお願いしたこともあります。なので、全面的に信頼していました。
テイ・トウワ スタンパーに塗布するメッキにこだわりがあるらしく、日本ではなくLAで作ったそうです。いちどやり直しもあったんですが、その際に低域を曲ごとに1デシベルくらい上げたり下げたりした。まりんのマスタリングを元にアナログ用に補正ということで、そうした作業をしました。1デシベルって大したことはないですが、それがアナログ盤になったときに損なわれたり、出過ぎたりするのがスタンパーの素材によっても変わってくるんですが、今回はいい方向に転んだというか。もちろん、まりんのマスタリングが非常に良かったからですが。
RIO 大変だった曲はありましたか?
砂原良徳 苦労ではないんですが、アルバムの1枚1枚どれも録音時期が近いので、どの曲も揃っているんですが、コンピレーションになると時代の幅が出てきてしまう。それを一本の串に全部刺さなくてはいけないので、大変な作業でしたね。
テイ・トウワ ぼくはアナログ盤のABCD面のそれぞれの面が、同じアルバムからの曲を続けて並べないようにまず考えたんです。というのも、オリジナル・アルバムを聴いてきた方が多く耳にすると思うので、机の隣が同級生ではなく先輩後輩みたいな部活的なイメージで(笑)。でも、1曲目が「HIRAKE KOKORO -Jiseiki-」から始まることだけが見えていましたね。
RIO 今回、アルファレコード期のアルバム全10タイトルが2種類のアナログ盤、SACDハイブリッド、ハイレゾ配信の各形態で復刻されて、11月28日に『イエロー・マジック・オーケストラ』『イエロー・マジック・オーケストラ〈US版〉』『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされましたが、もうお聴きになりましたか?
砂原良徳 データでは聴かせてもらいました。いい音でしたね。ぼくがマスタリングした音よりも重たい筋肉質な感じで。
テイ・トウワ そうだね、まりんよりもハンバーガーよく食べてる感じの音。
砂原良徳 ぼく、たぶん今年、ハンバーガー1個も食べてないですよ(笑)。
テイ・トウワ まりんがマスタリングをやるきっかけって、アナログでしか出ていない作品だったり、音質への愛情のない再発盤だったりを自分がいい音で聴くために個人的にやり始めたんだよね。あれ持ってる? と聞くと、ありますよ、ぼくがリマスタリングしたやつですけど、という感じで(笑)。
砂原良徳 そう、ぼくがリマスタリングしたクラフトワークはぜひ聴いてもらいたい!
テイ・トウワ ぼくも持ってるやつだ(笑)。
砂原良徳 あとでTwitterにあげときます(笑)。
テイ・トウワ クラフトワークとかだとCIAに目をつけられるかもよ。
砂原良徳 やっぱやめときます(笑)。
テイ・トウワ でも、クラフトワークのリマスタリングはやりたいよね。『NEUE TANZ』ってタイトルで、この3人で(笑)。また、五木田くんがクラフトワーク大好きなんだ、これが。
RIO アートワークに関してはお任せだったんですか? それとも話しながら進めていったんでしょうか?
テイ・トウワ 基本おまかせでした。さっきの卓球じゃないですけど、ぼくもYMOの良さげな写真をネットで見たりしたら、五木田くんに送りつけたりはしていましたけど。
RIO 楽しく制作されたことが伝わってきますね。
砂原良徳 めんどくさい作業もありますけど、やっぱりYMOが好きなんで。
テイ・トウワ ぼくもこの作業中は意識をなくすほど飲んだりするようなつらいことはなかった(笑)。
砂原良徳 テイさんはバンドで一緒にやってるし、五木田さんも会うことが多いんで意思の疎通とかの問題はまったくなかった。
テイ・トウワ そういえば先週、卓球と楽屋で会ったけど、すごい『NEUE TANZ』のことをしゃべってたよ。「最高だよ!」って。
RIO もしかして、一緒にやりたかったんじゃないですか?
砂原良徳 どうなんでしょうね。でも、余計なことばっかり言ってそうな気がする(笑)。これ絶対入れた方がいいですよ! とか。
ひとしきりトークが盛り上がっていたところで、会場参加者からの質疑応答コーナーも設けられた。
会場参加者 『NEUE TANZ』に収録されている「RIOT IN LAGOS」(坂本龍一)、「GLASS」(高橋幸宏)、「SPORTS MEN」(細野晴臣)のソロ3曲はどのように選ばれたんでしょうか?
テイ・トウワ なぜこの3曲かというと、難しいんですが、先ほどお話したアナログ盤3枚組にするしないとか、ニュー・アルバムのふりをするというところとも関わってくると思うんですが、やはりベスト・アルバムじゃないという意識があってのセレクションになったと思います。あまり悩みませんでしたが、教授の曲だけは差し替えました。それはどの曲とは言いませんが。後でTwitterでまりん宛にメンションしておきます(笑)。
砂原良徳 クラフトワークのリマスター音源も一緒に(笑)。
会場参加者 「HIRAKE KOKORO -Jiseiki-」ですが、『UC YMO』のヴァージョンはフェイドアウトですが、今回はカットアウトされたヴァージョンが収められています。どうしてカットアウトされたヴァージョンが収められたのでしょうか?
砂原良徳 それは「HIRAKE KOKORO -Jiseiki-」を最初に聴いたのが、『スネークマン・ショー』だったからです。もちろん『UC YMO』も聴きましたが、なんかフェイドアウトだと違う曲なんじゃないかという印象になるなと思って。リマスターを頼まれる時に、マスターと発売されているCDを聴くと長さが全然違うときがあるんです。それはどういうことかというと、ミックスが終わってから、ここはいらないなって8小節カットすることもけっこうあって、だからレコーディングの最終音源と商品がけっこう違うことがある。
テイ・トウワ 録りっぱなしだったんだよね、『UC YMO』の音源は。それをまりんにも渡したんだけど。
砂原良徳 「HIRAKE KOKORO -Jiseiki-」のお尻をカットしたのは、ぼくのジャッジです。ちなみにどっちの方が好きですか?
会場参加者 『UC YMO』の方です。
砂原良徳 あ、すいません、失礼しました(笑)。次にやる際は『UC YMO』のヴァージョンにしておきます。
テイ・トウワ 弱気じゃん(笑)。
砂原良徳 世間に負けました。あとでカットした部分をTwitterに上げときますので、くっつけてください(笑)。
会場参加者 『NEUE TANZ』にはオリジナル・アルバムのヴァージョンと1秒違う曲がありますが、それはどうしてでしょうか?
砂原良徳 どうしてかというと、録音されたテープは物質であり、保存されているうちに伸びてしまうんです。そのことが原因でリマスターされた音源のほとんどがほんの少し長くなってしまっているパターンが多い。それを修正することもできるにはできるんですが、やっぱり不自然になってしまうので、そのままのことがほとんどですね。
RIO 最後はためになるお話もお聞きできて、とても濃密なトークになったと思います。テイさん、砂原さん、そしてご参加いただいたみなさん、ありがとうございました!
トークイベントの終了後は、RIOと『ステレオサウンド』誌編集長の武田昭彦氏によるナビゲートで、ステレオサウンド社がセッティングした総額約400万円のオーディオシステムで『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』全編を試聴。ボブ・ラディックによって新たに生まれ変わった名盤の音が、この日のために設置されたシステムを通して、まるでついこの間演奏されたような生々しいヴィヴィッドな鳴りで会場全体を包み込み、何度となく聴いているであろう参加者たちもまるで初めて聴くような真剣な面持ちで音に向き合っていた。3人が目の前で演奏しているようなライヴ感と、今まで気づくことがなかった細部な音も伝わってきて、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の魅力をさらに掘り下げたかのような印象を与えてくれた試聴会だった。
レポート・文/油納将志
<<<試聴イベントのオーディオシステム>>>
アナログプレーヤー:エラックMIRACORD 90 ¥420,000
http://www.yukimu-officialsite.com/miracord-90
ドイツの老舗ブランド「エラック」のアナログプレーヤー。
同社90周年を記念するモデルで、MM型カートリッジが標準装備される
プリアンプ:オーディオアルケミーDDP-1 ¥380,000
http://www.yukimu-officialsite.com/pre-amp-ddp-1
アメリカのブランド「オーディオアルケミー」のプリアンプ。
アルミニウムの小型ボディに世界最高レベルの技術を導入している
フォノアンプ:オーディオアルケミーPPA-1 ¥320,000
http://www.yukimu-officialsite.com/photo-amp-ppa-1
アメリカのブランド「オーディオアルケミー」のフォノアンプ。
アナログ盤の愛好家から高い支持を得ている注目モデル
スピーカーシステム:ムジークエレクトロニク ガイザインRL921K
オープン価格(実勢価格 280万円前後ペア)
http://www.esfactory.co.jp/
ドイツが誇るブランド「ムジークエレクトロニク ガイザイン」のニューモデル。
同社製品は坂本龍一さんがライヴおよびレコーディングで、細野晴臣さんがレコーディングで使用している
試聴協力:株式会社ユキム、株式会社イースタンサウンドファクトリー
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MC: RIO radiodjrio.jimdo.com
YELLOW MAGIC ORCHESTRA
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Since 1978
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HARUOMI HOSONO
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Original Photo ©Masayoshi Sukita